• 電気通信大学、プログラミング教室、東京都調布市

▼ホイットワースさんは機械技術者。バベッジさんの階差機関の製作を引き受けたクレメンテさんの工房の技術者のとき製作を手伝った腕利き。
▼当時は、何かを作ろうというとき、工作に必要な道具や機械から作ることもあった。階差機関は部品点数が多く、歯車は精度が要求されるので、制作準備段階に相当な時間と費用がかかったようだ。クレメンテさんもホイットワースさんもロンドンでトップエンジニアなので、安く済むわけもない。
▼ホイットワースさんは、渡り職人として腕を磨き、ねじの規格を提案し、それがイギリスの標準規格になるくらいのレベルの人だった。そういう人が階差機関の製作に従事していたのだった。
▼階差機関を通して、依頼者のバベッジさんと、実際に作る立場のクレメンテさんやホイットワースさんとの間でどんなやりとりがあったのだろう。はっきりしないだけに気になる。

ジョセフ・ホイットワース Joseph Whitworth 1803–1887 機械技術者
1803年、イングランド北西部のストックポート生まれ。父は教師で聖職者。
教育
学校で学ぶ。
活動
綿の紡績工場を営む伯父に弟子入り(4年修業)。機械分野に適性を見出す。
マンチェスターにある工場で機械工として4年間務める。
ロンドンに出てヘンリー・モーズリーさんの工場に入る。ツールの改良、開発を進め技量を上げる。
旋盤メーカーのホルツァプフェル社 Holtzapffel & Co で働く。
ジョセフ・クレメンテさん(10月13日)の工房で階差機関型計算機の開発に協力。
1833年(30才)独立して旋盤などの工作機械製造事業を開始するためマンチェスターへ帰る。
ホイットワースさんが作る製品は高精度・低価格・美しいデザインだったので人気。
従来より平面をより高精度に仕上げる切削技法を完成、精密工具の進歩に貢献。
1840年(37才)end measurements という高精度計測法を編み出す。
1841年(38才)ねじの規格化の取組みを進める。ウィットねじがイギリスの鉄道用のねじ規格として採用される。その後、英国規格に採用されてBritish Standard Whitworth(BSW)となる。
1844年(41才)従来より精密な1000分の1インチを示すthouという新しい単位を提唱。
1850年(47才)アメリカ視察団を率いて渡米、ライン生産方式を知る。
1853年(50才)ライン生産方式によって90日で90基の砲艦用蒸気機関を製造しクリミア戦争に協力(56年まで)。
イギリス陸軍の依頼で1853年型エンフィールド銃の後継小銃の開発に着手。
1857年(54才)王立協会のフェロー、機械技術者協会の会長。
1859年(56才)試作銃のテストの結果、高価格のためイギリス陸軍では不採用。フランス陸軍で採用。アメリカの南北戦争で少数が狙撃用に採用された。
技術者教育に注力。マンチェスター工科大学やマンチェスター設計学校の設立を支援。
1868年(65才)機械技術者向けの奨学金 Whitworth Scholarshipを設立。
1887年(84才)死去。

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