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第二次世界大戦中、ドイツの暗号を解読するための電子計算機 Colossus を設計・製作した。Colossus は戦後も機密だったので世界初のプログラム可能なデジタルコンピュータの一つとして知られるのは1970年代になってからだった。

トミー・フラワーズ Tommy Flowers 1905-1998

1905年、ロンドンの煉瓦職人の息子として誕生。ウールウィッチ王立兵器工場ロイヤルアーセナルで機械工見習いとして働きながら、ロンドン大学の夜間コースで電気工学を学んだ
1926年(21才)General Post Office(GPO)のテレコム部門に入社。
1930年(25才)GPOの研究所に異動。
1935-39年(30-34才)電話交換機のエレクトロニクス化の可能性を探索。
1939年(34才)可能と結論。設計でスイッチング装置の電子化がキモと見極めた。そんなとき、上司からチューリングさんを紹介される。チューリングさんは国の暗号解読施設ブレッチリー・パークでドイツの暗号エニグマの解読に挑戦中だった。そのためリレー式装置 Bombe を開発中で、フラワーズさんにはデコーダを作って貰いたいと考えていた。フラワーズさんと話をしたチューリングさんはフラワーズさんの能力に驚く。
1943年(38歳)フラワーズさんはブレッチリー・パークで解読用電子システムを提案。しかし、1,800本以上の真空管を使うというので、上層部は切れやすい真空管をそれだけ使ってホントに大丈夫か?と乗り気でなかった。フラワーズさんは、ウチの電話交換システムは数千本の真空管を使っており、電源を入れっぱなしにしているので安定稼働していて問題はないと説明。結局、上層部は明確な判断を示さないまま黙認。フラワーズさんは自腹でプロジェクトを進めた。同年、叙勲される。▼GPOの研究所所長はフラワーズさんのチームをバックアップするため優先的に部品を支給。おかげで11カ月で完成。図体が巨大だったので、ブレッチリー・パークのスタッフはColossus(巨人) と命名。それまでの暗号解析装置に比べるとスピードが5倍、柔軟性も備えていた。並行して2,400本の真空管を使用するColossus Mark 2 の設計も始めていた。
1944年(39才)Mark 2がブレッチリー・パークで運用を開始。6月5日に計画されていた連合軍のノルマンディー上陸作戦のD-デイにとって重要な情報の解読に成功。
▼大戦中、Colossusは10台完成。暗号解読に役立った。終戦後、機密保持のため2台を除いて全て廃棄。残った2台は諜報部門GCHQに移設。冷戦下の暗号解読に使用された後、1959年と1960年に退役。
▼フラワーズさんは、コンピュータの事業化を考え、銀行に融資を申し込んだ。銀行は見たことも聞いたこともない話なので信じられない。Colossusはまだ機密扱いだったため、銀行に実績があると言えなかった。結局、融資は受けられずに終わる。1970年代になるまでColossusが一般に知られることはなかった。

1950年(45才)完全電子式の電話交換機の基本設計を完成し、試験運用局に導入。
1993年(88才)PCを使った情報処理の基礎コースを修了し、Hendon College から証明書を受け取った
2010年、若者向けの情報技術教育センターが Tommy Flowers Centre と命名

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%BA
https://en.wikipedia.org/wiki/Tommy_Flowers
Tommy Flowers