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アタナソフさんは電子計算機の黎明期に登場するアタナソフ&ベリー・コンピュータ(ABC)の設計・開発を行った物理教授。アナログ計算機で手間と精度に苦労した経験からデジタル計算機の必要を感じたのが開発動機。ベリーさんは手伝った院生の名前。
予算は650ドル。ENIACの開発者J・モークリーさんにはABCを隅から隅まで公開した。こちらの予算はけた違いに大きかった

J・V・アタナソフ John Vincent Atanasoff 1903-1995 NY州生まれ。ブルガリア人移民の息子。
▼1926年(23才)アイオワ州立大学、数学修士。
▼1930年(27才)ウィスコンシン大学マディソン校、理論物理学の博士号。アイオワ州立大学の数学と物理学の助教授に就任。
▼1936年(33才)複雑な計算を助けてくれるアナログコンピュータを開発。結局、アナログ式は機械の精度が計算の精度に影響するため、デジタル式の解決策を考える。
▼1937-38年(34-35才)アタナソフ&ベリー・コンピュータ(ABC) の着想を得る。
▼1939年(36才)650ドルの資金と院生クリフォード・ベリーさんの協力を得てABCの試作を完成。
▼1940年(37才)フィラデルフィアで開かれたアメリカ科学振興協会でJ・モークリーさんと出会う。
▼1941年(38才)モークリーさんがアタナソフさんを訪れABCを見学。4日間滞在しABCを動かし、設計書類も見せてもらう。
▼1942年(39才)ワシントンD.C.の海軍研究所(Naval Ordnance Laboratory)の音響部門主任に着任。
▼1943年(40才)モークリーさんはNOLのアタナソフさんをしばしば訪れ、計算理論について議論。
▼1945年(42才)アメリカ海軍がノイマンさんのアドバイスで大型コンピュータ製作に乗り出すと決定、アタナソフ先生が責任者になる。しかし、原爆弾実験のモニタリング用音響システムの設計責任者の仕事が忙しくなりABCから遠ざかるし大型コンピュータも後回し。
▼1946年(43才)ビキニ島での原爆実験を終えてNOLに戻ると、アメリカ海軍の大型コンピュータ開発の話も消えていた。
▼1952年(49才)軍関係の仕事のためOrdnance Engineering社を設立。
▼1956年(53才)OE社をロケットエンジンの会社に売却。
▼1961年(58才)Cybernetics Incorporatedを設立、20年間経営。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%83%8A%E3%82%BD%E3%83%95
https://en.wikipedia.org/wiki/John_Vincent_Atanasoff
The Atanasoff-Berry Computer In Operation こちらの動画では、2x+4y=8とx-3y=-11の連立一元方程式をABCで解くデモをやっています。