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▼グラハム・ベルさんは電話の発明者として有名。家族が聴覚障害や視覚障害を持つ人のための技術開発に取り組む一家。発声や音の伝わり方の研究が電話の発明につながった。ヘレン・ケラーさんやアン・サリバンさんとの関係が出てくるのは視話法を教える学校を開いていたためだ。
▼電話を発明し、特許が取れ、事業が成功するまでの間には難題に次ぐ難題。講師として稼ぎながら電話の開発を行っていたので貧乏暮らしが長く続き、電話による収入が講師収入を上回ったのは50才のとき。
▼電話の特許が下りた29才のとき、グラハム・ベルさんに視話術を習っていた日本人(伊沢氏)が友人(金子氏)と自宅を訪ねてきて電話を使う。このとき、二人はベルさんの自宅の貧しい様子に驚いたという。しかし、この経験は日本語が電話で話された言語として英語に次ぐ二番目となる歴史になる。
▼伊沢氏がアメリカに来ていた理由は吃音矯正の技術を習得して日本に持ち帰るためだった。金子氏はハーバード大で法律を学び大日本帝国憲法の起草者のひとりになる。二人の縁でグラハム・ベルさんは来日して日本びいきになる。

アレクサンダー・グラハム・ベル Alexander Graham Bell 1847-1922
1847年、スコットランドのエディンバラ生まれ。父は大学教授。弁論術の教育者、専門家。
教育
幼年時代は、父から自宅で教育を受ける。
1859年(12才)母の聴力が衰え始める。家族の会話を手話で伝えた。
1862年(15才)エディンバラの ロイヤル高校を中退。ロンドンの祖父のもとで勉学。
1863年(16才)ウェストンハウス学院で教師(弁論術と音楽)と学生(ラテン語とギリシャ語)。父の資金で兄と一緒に喋るオートマタを製作、人を驚かす出来栄え。
1864年(17才)エディンバラ大学に入学。
1865年(18才)一家でロンドンに転居。
1866年(19才)父の同僚の言語学者アレクサンダー・ジョン・エリス氏に活動成果をまとめた論文を送る。同じ分野の先行研究としてH・ヘルムホルツの著書を渡される。刺激を受け音声信号の研究に打ち込む。
1867年(20才)弟が結核のため死去。
1868年(21才)ロンドン大学の入試に合格。
活動
1870年(23才)兄が結核のため死去。父の判断でカナダのオンタリオ州ブラントフォードの農場に一家で転居。
1871年(24才)ボストン聾学校のインストラクターに視話法を教える。
1872年(25才)ボストンで視話法を教える “School of Vocal Physiology and Mechanics of Speech” を開校。ヘレン・ケラーさん(1880-1968)と知り合う。
1873年(26才)ボストン大学で教授(発声生理学と弁論術)。ボストンとブラントフォードの往復生活を半年で辞め、音響の実験に専念。メイベル・ハバードさん(15才)を助手にする。
1874年(27才)1本の電信線で情報伝送する技術の開発に取り組む。財政支援者と弁理士がバックアップ。
1875年(28才)スミソニアン協会会長のジョセフ・ヘンリーさん(12月26日)に会って自分の発明を評価してもらう。エンジニアのトーマス・ワトソンさん(1854–1934)を助手として雇いacoustic telegraphy の実験を行う。「電信の改良」特許を申請。英国でも特許を申請。
1876年(29才)「電信の改良」の特許が認可。ベル宅を訪問した日本人(伊沢修二、金子堅太郎)が電話を使用。フィラデルフィアで開催された万国博覧会で電話をデモし注目を集める。
1877年(30才)ベル電話会社を創業。日本へ電話機を輸出。結婚。
1879年(32才)電話の性能を上げるためエジソンさんからカーボンマイクの特許を買い取る。
1880年(33才)光通信の先駆けとなる無線電話フォトフォンを発明。
1881年(34才)金属探知機を発明。T・ワトソンさん退社。
1882年(35才)裁判対応のためワシントンD.C.に転居。アメリカ合衆国の市民権を取得。
1886年(39才)アメリカ国内で普及した電話が15万台になる。
1887年(40才)ケラーさんに家庭教師アン・サリヴァン先生(1866-1936)を紹介。
1897年(50才電話会社の収入が講義収入を上回る
1898年(51才)東京と京都で講演のため来日。天皇に謁見、勲三等を受勲。
1912年(65才)ニューヨークにあるコールド・スプリング・ハーバー研究所の優生記録所科学諮問委員会で委員長(1918年まで)。
1915年(68才)NY(ベルさん)とサンフランシスコ(T・ワトソンさん)間で世界初の大陸横断通話が成功。
1919年(72才)改善した水中翼船Bell HD-4で世界最速を達成。
1921年(74才)第2回国際優生学会議で名誉議長。
1922年(75才)ノバスコシア州ベイン・バリーで死去。

師匠
□ アレクサンダー・メルヴィル・ベル Alexander Melville Bell 1819-1905 演説学者、視話法の発明者。グラハム・ベルの父。
弟子
□ 伊沢 修二 いさわ しゅうじ 1851-1917 日本の音楽教育、吃音矯正の第一人者。関係:グラハムベルから視話術を学ぶ。外国人として初めて同行していた金子氏と電話で会話。
関係筋
■ ジョセフ・ヘンリー Joseph Henry 1797-1878 アメリカの物理学者。グラハムベルを激励。
■ エルンスト・ジーメンス Ernst Siemens 1816–1892 ドイツでの電話の特許を取得。
□ アンソニー・ポロック Anthony Pollok 1829–1898 弁理士。グラハムベルの電話の特許申請。
□ イライシャ・グレイ Elisha Gray 1835-1901 技術者。シンセサイザーの父。電話の特許権で争った。
□ マーセラス・ベイリー Marcellus Bailey 1840–1921 弁護士・弁理士。グラハムベルの電話の特許申請。
■ トーマス・エジソン Thomas Edison 1847-1931
□ 金子 堅太郎 かねこ けんたろう 1853-1942 官僚・政治家。アメリカに留学し、ハーバード大学ロースクールで法律を学んだ。伊沢さんとグラハムベルの自宅を訪れ電話で会話する。
□ トーマス・ワトソン Thomas Watson 1854-1934 技術者。グラハムベルの助手。
□ メイベル・ハバード Mabel Hubbard 1857–1923 グラハムベルの妻、Mabel Bell。15才のときからグラハム・ベルの音響実験の手伝いをした。父のガーディナー・ハバード氏はグラハムベルの理解者・後援者・出資者。億万長者になる。
□ アン・サリヴァン Anne Sullivan 1866-1936
□ ヘレン・ケラー Helen Keller 1880-1968

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