▼ジーメンスさんは、軍で技術を身に着けた後、発明家・事業家になる。その歩み方がウェスチングハウスさん(1月8日)に似ている。もちろん違うところもある。ウェスチングハウスさんは学校が合わない現実タイプ。一方、ジーメンスさんは行きたい大学があるけれども、小作農家の14人兄弟の4番目なので授業料が払えない、ということで軍の学校に入った経緯だから。
▼ジーメンスさんにとってラッキーだったのは、軍の学校が合っていたこと。軍人としても技術者としても力量が発揮できて成功体験を持てたことが、その後の起業につながる。
▼ジーメンスさんの開発力・事業化力によって、ダイナモ、スピーカー、エレベーター、トロリーバス、電気機関車が普及。今もジーメンス社はドイツが進めるインダストリー4.0の中核企業。長寿命企業の生みの親でもある。共同創業者のハルスケ氏とは生涯、仲が良かったという。
エルンスト・ジーメンス Ernst Siemens 1816–1892
1816年、北ドイツのレンテ(現在ゲーアデン)生まれ。父は小作農家。
教育
1835年(19才)学校を卒業。家庭の経済的事情で志望校の授業料が払えないため、プロシア陸軍士官アカデミーの砲術・工学学校に入り工学を学ぶ。電気式機雷を発明、軍が採用。
1838年(22才)砲術・工学学校を卒業。
活動
1843年(27才)特許権を売却し資金を得る。
1847年(31才)J・G・ハルスケ氏とジーメンス・ウント・ハルスケを共同創業し、電磁式指針電信機の販売を開始。
1852年(36才)結婚。
1866年(50才)ダイナモ(自励式自動発電機)を発明。
1869年(53才)再婚。
1877年(61才)電流変化に応じて振動するコイルmoving-coil transducerを発明。1920年代、ベル電話会社の E. C. Wente 氏らがこの発明を利用してダイナミック型スピーカーを発明。
1879年(63才)電気機関車を実用化。
1880年(64才)世界初の電気エレベーターを開発。
1882年(66才)トロリーバスにつながる世界初の電気自動車を開発。
1888年(72才)爵位を授かる。
1890年(74才)会社を引退。
1892年(76才)ベルリンで死去。
関係筋
□ J・G・ハルスケ Johann Georg Halske 1814–1890 ドイツの技術者。関係:Siemens & Halske Telegraph Construction Companyの共同創業者。ジーメンスさんの後を継いだ経営陣と方針が合わず退社。
■ ヴィルヘルム・レントゲン(コンテストHPの6月12日) Wilhelm Röntgen 1845–1923
□ E・C・ウェンテ Edward Charles “E.C.” Wente 1889-1972 アメリカの技術者。関係:ダイナミック型スピーカーを発明。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%B9