▼イェドリク・イシュトヴァーンさんは、知られていないけれどども世界で初めてダイナモ(発電機)とモーターを作った人。知られてない理由は、イェドリクさんが発表を優先しなかったから。一般的にはドイツのジーメンスさんによる発明と思われているらしい。
▼イェドリクさんはハンガリーの若者が自国語で物理学を学べるようにしたところが偉大だ。授業はラテン語が普通だったのをハンガリー語で行った。この点が画期的。それを見た従兄弟の言語学者がハンガリー語の物理学用語辞典つくりを勧める。実行して発行。日本も明治維新のとき海外の用語を福沢諭吉さんや西周さんらが片っ端から日本語化した。その国の知識を左右する偉業だ。
▼95才で亡くなるまで修道院で研究を続けていた。このライフスタイルも素晴らしいと思う。
イェドリク・イシュトヴァーン Jedlik István 1800-1895
1800年、ハンガリー王国 Szimő村(現、スロバキア Zemné)生まれ。母はハンガリーの貴族。
教育
ナジソンバト(現トルナヴァ)とポジョニ(現ブラチスラヴァ)で高校教育。
活動
1817年(17才)ベネディクト会の修道会で研究。
1827年(27才)世界初のモーターである電磁回転装置「lightning-magnetic self-rotor」の実験を開始。
1839年(39才)この年までベネディクト会の学校で講師。
1840年(40才)ブダペスト大学理学部物理学科で教師。
1845年(45才)(ラテン語ではなく)ハンガリー語による物理学の授業を初めて実施。従兄弟の言語学者ツツォル・ゲルゲイGergely Czuczorの提案でハンガリー語の物理学用語辞典を作り出版。
1848年(48才)ブダペスト大学理学部で学部長。
1856年(56才)ダイナモの試作品を公表。
1858年(58才)ハンガリー科学アカデミー会員。
1861年(61才)自励式ダイナモの概念を固める。
1863年(63才)ブダペスト大学で学長。
1867年(67才)ヴェルナー・フォン・ジーメンスがダイナモを発明(この時すでにイェドリクさんが製作していた)。
1868年(68才)電圧発生装置”tubular voltage generator”を開発。
1873年(73才)ウィーン万国博覧会で自作の避雷針を展示。ハンガリー科学アカデミー名誉会員。
1895年(95才)ハンガリー北西部の都市ジェールGyőrにある修道院で研究を続け、死去。
関係筋
□ ツツォル・ゲルゲイ Gergely Czuczor 1800–1866 ハンガリーのベネディクト会の僧侶、言語学者。関係:物理学の術語辞典を作る提案をしたイェドリクさんの従兄弟。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A7%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A7%E3%82%B7%E3%83%A5
https://en.wikipedia.org/wiki/%C3%81nyos_Jedlik