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▼オームさん(1789-1854)はフーリエさんの『熱の解析的理論』を読んでオームの法則を発見する。
今回はそのフーリエさん。子供の時から数学ができた。フランス革命でそれまでの身分制度がなくなり、数学教師としてのキャリアを歩み始める。
▼ナポレオンのエジプト遠征に随行。ロゼッタ・ストーンを発見し、フランスに持ち帰る。語学の天才シャンポリオン少年に見せたところ、二十年後に見事、解読する。
▼フランス革命、ロベスピエールの恐怖政治、ナポレオン時代、王政復古と目まぐるしく政治環境が変わるなか、知事・学者として生き延びた人物である。

ジョゼフ・フーリエ Joseph Fourier 1768-1830
1768年、フランス王国ヨンヌ県のオセール生まれ。父は仕立屋。
教育
1776年(8才)父が死去。孤児として教会に預けられ、陸軍幼年学校入学。数学に没頭。
1787年(19才)幼年学校卒業。聖ベネディクト修道院で修道士修行しながら数学を学ぶ(1789年まで)。
活動
1789年(21才)フランス革命。身分から解放され、幼年学校で数学教師。
オセールの革命委員会委員長。ロベスピエール一派と対立、逮捕
1794年(26才)エコール・ノルマル・シュペリュール(高等師範学校)の第一期生として入学。
1795年(27才)エコール・ノルマル・シュペリュールが一時閉鎖。ラグランジュ氏とモンジュ氏に能力を認められエコール・ポリテクニークで助講師(築城学)、のち教授(解析数学)。(1798年まで)
1798年(30才)ナポレオンがエジプト遠征。文化使節団の一員としてモンジュ氏、ベルトレ氏らと随行。カイロ大学幹事、エジプト学士院書記。ロゼッタ・ストーンを発見
1799年(31才)ナポレオンが帰国。エジプトに置き去りになる。
1801年(33才)エジプトからフランスに帰国。ロゼッタ・ストーンを持ち帰る
1802年(34才)イゼール県知事(ナポレオンが任命)。方程式論の研究を継続。ロゼッタ・ストーンを12歳のシャンポリオンさんに見せる。シャンポリオンさんは自分が解読すると宣言、後に解読に成功。
1807年(39才)熱伝導の論文をアカデミー・デ・シアンスに提出。
1808年(40才)県知事としての業績が評価されナポレオンから男爵を授かる。『エジプト誌 』を監修(1825年まで)。
1812年(44才)アカデミー・デ・シアンスの懸賞論文で「熱の解析的理論」が大賞になる。
1814年(46才)ナポレオンがエルバ島で幽閉。ルイ18世に忠誠を誓い知事を継続。
1815年(47才)ナポレオンにローヌ県知事に任命される。強権的姿勢に反対して辞職。ワーテルローの戦いの後、ナポレオンはセントヘレナ島で幽閉。ルイ18世から知事を罷免。セーヌ県で統計局長。生命保険に関する研究を始め、確率論や誤差論の研究を深める。
1816年(48才)アカデミー・デ・シアンスがフーリエを会員に推薦。ルイ18世は拒否。
1817年(49才)アカデミー・デ・シアンス会員。パリに転居。
1822年(54才)アカデミー・デ・シアンス終身幹事。ロンドン王立協会外国人会員。著書『熱の解析的理論』出版。オームさんが読んでオームの法則を導き出す
1826年(58才)アカデミー・フランセーズ会員。
1827年(59才)エコール・ポリテクニーク理事長(ラプラスさんの後任)。
1830年(62才)パリで死去。
1831年、著書『定方程式の解析』出版。

師匠
□ ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ Joseph-Louis Lagrange 1736-1813
弟子
□ ペーター・グスタフ・ディリクレ Peter Gustav Dirichlet 1805-1859
□ ジョヴァンニ・プラーナ Giovanni Plana 1781–1864
□ アンリ・ナビエ Henri Navier 1785-1836
関係筋
□ ガスパール・モンジュ(エコール・ポリテクニークの創設者) Gaspard Monge 1746-1818
□ クロード・ルイ・ベルトレー(ナポレオンのエジプト遠征に同行した科学者) Claude Louis Berthollet 1748-1822
□ ジャン=フランソワ・シャンポリオン(ロゼッタ・ストーンを解読) Jean-François Champollion 1790-1832

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