• 電気通信大学、プログラミング教室、東京都調布市

▼オームさん(1789-1854)が師匠から「君は独学に向いているから本で勉強せよ」と言われて紹介されたのがオイラーさんとラプラスさんのものだった。オイラーさんはスイス、ラプラスさんはフランスの人。言語が違っても著書で研究できた、ということになる。
▼ラプラスさんは最初は神父になる予定だったのが、大学で熱心な数学教師に出会い、数学の道に進んだ人。ラボアジェさんと共同研究したり、天文学を極める科学者・数学者。ラプラスさんは、天文を研究してブラックホールの存在を予想していた。
▼天文学は、観察(機器の精度が重要)、データの蓄積と解析(数学が重要)、発見(周知が重要)という一連の流れを持つ素晴らしい学問だ。

ピエール=シモン・ラプラス Pierre-Simon Laplace 1749-1827
1749年、フランスのノルマンディー生まれ。父は農業経営者。
教育
神父になるためノルマンディにあるCaen大学に進学。熱心な数学教師に刺激され、数学の才能を発揮。
活動
1771年(22才)エコール・ミリタリエ École Militaireで教師。天文学の研究と発表を行う(1784年まで)
1773年(24才)Academy des Sciencesの会員。
1780年(31才)ラボアジェさんと共同研究を開始(1784年まで)。ラプラス変換の数学的基盤を構築
1783年(34才)ラボアジェさんと共著で『Memoir on Heat』発表。
1788年(39才)結婚。
1789年(40才)ロンドン王立協会フェロー。
1799年(50才)『天体力学概論』発刊開始。剛体、流体、運動、地球の形、潮汐の理論を微分方程式で解析した
1812年(63才)『確率の解析的理論』発表。後に「ラプラスの悪魔」の元になる。
1825年(76才)『天体力学概論』全5巻完了。
1827年(78才)パリで死去。ボルタさんと同じ日。

師匠
□ ジャン・ル・ロン・ダランベール Jean Le Rond d’Alembert 1717-1783
弟子

関係筋

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB%EF%BC%9D%E3%82%B7%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%B9
https://en.wikipedia.org/wiki/Pierre-Simon_Laplace