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▼オームさん(1789-1854)が師匠から「君は独学に向いているから本で勉強せよ」と言われて紹介されたのがオイラーさんのもの。ではそのオイラーさんとはどういう人か。
▼スイス人。父親が数学教育を受けた牧師で、息子を牧師にしたいと思っていた。スイスのバーゼル大学に入学して神学を学んでいた。土曜午後の数学の授業を担当していたベルヌーイさんが、オイラー君の信じがたいほどの数学の才能に気づいたのが進路変更のきっかけ。わざわざ両親を説得して神学者から数学者への変更を認めさせた。
▼その結果、オイラーさんは大数学者になる。我々が学校で学ぶ数学の土台を整える存在。

レオンハルト・オイラー Leonhard Euler 1707-1783
1707年、スイスのバーゼル生まれ。父は数学教育を受けた牧師。
教育
1720年(13才)バーゼル大学に入学。哲学を学ぶ。数学者のヨハン・ベルヌーイ先生と出会う。
1723年(16才)バーゼル大学で Master of Philosophy。
1724年(17才)本人の希望とベルヌーイ先生が両親を説得し専攻を神学から数学に変える。
1726年(19才)バーゼル大学で論文を完成。
活動
1727年(20才)サンクトペテルブルクのロシア科学アカデミーで教師。ヨハンさんの息子ダニエル・ベルヌーイさんが同僚。
1733年(26才)ダニエル・ベルヌーイさんがスイスに戻る。
1734年(27才)結婚。
1735年(28才)「平方数の逆数全ての和は?」というバーゼル問題を解決。
1736年(29才)「ケーニヒスベルクの七つの橋問題」をグラフにして一筆書きできないと証明。
1738年(31才)片目を失明。
1741年(34才)プロイセン科学アカデミーで数学者。
『無限解析入門』『微分学教程』『自然科学の諸問題についてのドイツ王女へのオイラーの手紙』を発表。
1748年(41才)関数をy=f(x)で表現
1766年(59才)ロシア科学アカデミーに戻る。
1771年(64才)両目を失明。口述筆記で論文を作成。史上最も多くの論文を書いた数学者になる。
1783年(76才)サンクトペテルブルクで死去。

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https://en.wikipedia.org/wiki/Leonhard_Euler