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▼中学校で習うオームの法則のオームさん。地元ドイツではなかなか認められず、イギリスの王立協会から賞を贈られたのでドイツでも認められたという歩みの人。但し、フリードリヒ・ヴィルヘルム3世はオームさんの幾何学入門書の原稿を見て評価し教職を提供している。
▼オームさんの親父さんが偉い人物だった。錠前の技術者であり、独学の人であり、子供のゲオルクに家庭で教育を施した。特にゲオルクの数学の基礎は父親から学んで身に着けた。
▼エアランゲン大学に入ってカール・フォン・ラングスドルフ先生に薫陶を受ける。ラングスドルフ先生も偉い人物で、ゲオルクには独学が合うと判断して独り立ちさせている。
▼オームの法則はキャベンディッシュさんが1781年に発見していた。しかし超変人のキャベンディッシュさんは原稿にしたままで発表しなかった(遺稿を整理して発表したのはマクスウェルさん)ので、46年後の1827年にオームさんの発表で「オームの法則」となった。

ゲオルク・オーム Georg Ohm 1789-1854
1789年、神聖ローマ帝国バイロイト侯領エアランゲン生まれ。父は錠前師。
教育
父から家庭教育で数学、物理学、化学、哲学を学ぶ。
1799年(10才)母が死去。
1800年(11才)エアランゲンのギムナジウム入学。
1804年(15才)ギムナジウムを卒業。エアランゲン大学入学。カール・フォン・ラングスドルフ先生の指導を受ける。
1806年(17才)スイスの学校で数学教師。
1809年(20才)ラングスドルフ先生がエアランゲン大学からハイデルベルク大学に移る。ラングスドルフ先生から独学を推奨され、スイスの学校を辞めヌーシャテルで家庭教師。
1811年(22才)エアランゲン大学で博士。
活動
1812年(23才)エアランゲン大学で講師(数学)。
1813年(24才)バンベルクの学校で教師(数学と物理学)。幾何学の入門書を執筆。
1816年(27才)バンベルクの学校が廃校となったため別の学校で教師。幾何学入門書の原稿をプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世に贈呈
1817年(28才)ヴィルヘルム3世の計らいによりケルンのギムナジウムで教師(数学と物理学)。物理実験に専念。
1827年(38才)「数学的に取扱ったガルヴァーニ電池」を出版。オームの法則を発表
1833年(44才)ニュルンベルクの工科学校で教師。
1841年(52才)王立協会からコプリ・メダル授与
1842年(53才)王立協会の外国人会員。
1852年(63才)ミュンヘン大学の教授(実験物理)。
1854年(65才)ミュンヘンで死去。

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