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▼アンペールの右ねじの法則は、学校の理科で習う知識です。内容は、右ねじが進む方向に電流が進むとねじの回転方向に磁場が生じる、という電流と磁場の関係を分かりやすく説明したものです。アンペールの右手の法則と言う事もあります。
▼子供の様子をよく見て対応する父親だったようで、最初、ラテン語を教えようとしたけど、この子は数学に向いていると判断して中止した。一方、フランス革命のやり方には反対の意を表明したため投獄、挙句の果てはギロチンで処刑。これは18才のアンペールさんにはショックだった。
▼本業は数学の先生で、物理実験も手掛けており、エルステッドさんが電流と磁性の関係を発見したニュースを知るとより精緻な実験と考察を加えた。しかも人が理解しやすいよう法則化してくれたおかげで電流と磁気の関係を自分の手を使って覚えることができる。

アンドレ=マリ・アンペール André-Marie Ampère 1775-1836
1775年、フランスのリヨン生まれ。
教育
父がラテン語の手ほどき。数学が得意と見抜いて中断。後にオイラーやベルヌーイの論文を読むためラテン語を独学。
1789年(14才)20巻ある『百科全書』読み終える
1793年(18才)数学の先行論文を読破。父がフランス革命のあおりを受けギロチンで処刑
活動
1796年(21才)リヨンで家庭教師(数学・化学・語学)。
1799年(24才)結婚。
1801年(26才)ブールにあるジェローム・ラランド高校で教師(物理学と化学)。
1803年(28才)妻が死去。
1804年(29才)リヨン大学で教授(数学)。
1805年(30才)パリのエコール・ポリテクニーク(理工科学校)で講師。
1806年(31才)再婚。
1809年(34才)エコール・ポリテクニークで教授(数学)。『賭け事についての数学理論考察』発刊。
1813年(38才)科学アカデミー会員。
1820年(45才)アンペールの法則(右ねじの法則)
1827年(52才)ロンドン王立協会外国人会員。『電気力学的諸現象について、実験によりひとつに結論される理論覚え書き』発刊。
1828年(53才)スウェーデン王立科学アカデミーの外国人会員。
1836年(61才)マルセイユで死去。

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