• 電気通信大学、プログラミング教室、東京都調布市

▼今回は「ボイルの法則」で有名なボイルさん。
▼Wikipediaの「電気」には「ロバート・ボイルは1675年に、電気による牽引と反発は真空中で作用し得ると述べた。」とある。
▼ボイルさんは発明可能なものリスト”wish list”を作っている。例えば、
“the prolongation of life” 寿命の延長技術
“art of flying” 飛行技術
“perpetual light”  永久照明
“making armour light and extremely hard” 軽量強固な武具
“a ship to sail with all winds, and a ship not to be sunk” 全天候型船舶
“practicable and certain way of finding longitudes” 経度測定器
“potent drugs to alter or exalt imagination, waking, memory and other functions and appease pain, procure innocent sleep, harmless dreams” 創造力・目覚め・記憶などを活性化させる薬、痛み止め・夢見の良い睡眠剤
がある。
▼混合物mixturesと化合物compoundsをきちんと区分した。筋道だった手順で探求する過程を分析”analysis”と呼んだ。

ロバート・ボイル Robert Boyle 1627-1691
1627年、アイルランド・ウォーターフォード県リズモア生まれ。父は初代コーク伯爵。大地主。
一家の習慣で里子に出される。アイルランド語が堪能になる。ラテン語、ギリシャ語、フランス語も学ぶ。
教育
1635年(8才)母が死去。イングランドのイートン・カレッジに入学(1638年まで)。家庭教師もつく。家庭教師を伴い海外旅行。
1641年(14才)イタリア旅行。フィレンツェでガリレオ先生に師事(ガリレオ先生は翌年死去)。
1643年(16才)父が死去。イングランドの荘園とアイルランドの地所を相続。
1644年(17才)ヨーロッパ旅行からイングランドに戻る。科学研究の生活にシフト。科学者が集まるInvisible College(後の王立協会)のメンバーになる。ロンドンのグレシャム・カレッジやオックスフォードで会合を持つ。
活動
1647年(20才)アイルランドの地所を視察訪問。
1652年(25才)アイルランドに移住。実験器具が入手できないなど研究生活には不便。
1654年(27才)アイルランドからオックスフォードに転居。
1657年(30才)ドイツの物理学者オットー・ゲーリケ氏が1950年に発明した真空ポンプを知る。ロバート・フックさんを助手に自ら真空ポンプの製作を開始。
1659年(32才)”machina Boyleana” と名付けたエア・ポンプが完成。オックスフォード大学ユニバーシティ・カレッジで実験を開始。
1660年(33才)研究成果を “New Experiments Physico-Mechanical, Touching the Spring of the Air, and its Effects”と題して発表。
1661年(34才)『懐疑的化学者(The Sceptical Chymist)』発刊。化学分野の基礎を築いた名著。
1662年(35才)ボイルの法則(一定の温度の下では、気体の体積は圧力に反比例する)を発表。
1663年(36才)Invisible Collegeがチャールズ2世の許可を得て王立協会に改名して発足。設立協議会の一員として参加。
1668年(41才)オックスフォードからロンドンに移転、姉のキャサリンの家に同居。
1675年(48才)電気による牽引と反発は真空中で作用し得る。
1680年(53才)王立協会会長に選ばれるも辞退。
1689年(62才)健康が衰る。
1691年(64才)ロンドンで死去。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%83%AB
https://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Boyle