▼WWIIの後、軍用レーダーの開発に関わっていたエンジニアの一部はコンピュータの創造に関わった。このことから、今回の答えを、計算の分野でアナログ技術が成熟してデジタルに移る人的な環境が整っていたから、にする。
▼ワトソン=ワットさんはイギリス国土の防空レーダーシステムの構築に貢献したイギリス人技術者。アメリカに渡って最新のレーダー技術を提供した。しかし、まだこれは、デジタルコンピュータが登場する前の話。
▼WWIIの時、アメリカは戦争に勝つために科学技術の軍事利用を推し進めた。その時に必要な知識の持ち主の中に、イギリスの科学者やナチスの迫害から逃れてきたユダヤ人科学者が少なからずいた。イギリスは科学技術でアメリカに先んじている分野があり、レーダー技術もそのひとつ。
▼レーダー技術は、無線を使う、送信と受信、ノイズ除去、ディスプレイで状態を可視化、計算が必要などコンピュータに馴染む要素がたくさん。
ロバート・ワトソン=ワット Robert Alexander Watson-Watt 1892-1973
1892年、スコットランドのアンガス生まれ。
教育
Damacre中学、Brechin 高校。
1910年(18才)University of Dundee入学。工学を学ぶ。Carnelley Prizeの化学部門を受賞。自然哲学でメダル受賞。
1912年(20才)Dundee大学で BSc(工学)。指導教員の William Peddie先生から無線技術の研究を勧められる。
活動
1914年(22才)WWI。Dundee大学の工学部でPeddie先生の助手。
1916年(24才)戦争省に入れなかったため気象庁に入る。雷雲の観測に無線通信の技術を応用する研究。結婚。
1918年(26才)WWI終戦。
1923年(31才)研究が実用化。
1924年(32才)国立物理研究所National Physical Laboratory (NPL) 。
1926年(34才)ワットさんが考案した新しいレーダーシステムが稼働。
1933年(41才)NPLで無線部長。
1934年(42才)航空大臣が国防のため防空調査委員会Committee for the Scientific Survey of Air Defence(CSSAD)を設置。Institution of Professional Civil Servantsの議長になり空軍の技官を支援。
1935年(43才)航空省に電磁波を使った航空機探知システムを提案。特許取得。探知距離100km。
1937年(45才)迎撃システムを構築。
1938年(46才)Communications Developmentの所長。Scientific Advisor on Telecommunications (SAT) になり空軍にアドバイス。
1939年(47才)WWII。
1941年(49才)王立協会フェロー。渡米し米軍にレーダー技術をアドバイス。
1942年(50才)ナイト。
1946年(54才)WWII終戦。
1948年(56才)ヒューズ・メダル受賞。
1950年(58才)カナダに移住、後、アメリカに移住。
1958年(66才)”Three Steps to Victory”発刊。
1973年(81才)スコットランドで死去。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%88%E3%82%BD%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%AF%E3%83%83%E3%83%88
https://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Watson-Watt