• プログラミング教室、電気通信大学、調布市

▼ヴァネバー・ブッシュさんという科学技術と軍事を結び付けるビジョナリーの効果のひとつがアメリカ国防総省国防高等研究計画局DARPAのInformation Processing Techniques Office (IPTO)。そこでコンピュータを多人数で使うタイムシェアリングや異機種のコンピュータ間通信の実現を考える次のビジョナリーがリックライダーさん、サザランドさん、テイラーさんと続く。現実化の手前までピースを揃えた。そして今回のローレンス・ロバーツさんがピースを組み合わせ、世界で初めてのコンピュータ通信の実現までこぎつけた。
▼なぜアメリカでコンピュータとネットワークが発達したのか? それはアメリカにビジョナリがいた、システムのイメージを持つ人がいて知恵を出し合った、今回のロバーツさんのようにイメージを仕様書に落とし込める実務者がいた、システムと機器を製造できるメーカーがあった、コンピュータ通信をやろうという意思を持つ人がいた、そして資金があったから。
▼ARPANETはゼロからスタートして紆余曲折を経て発達した。発達を促すエネルギーは資金と人だけじゃない気がする。国の勢いとかプロジェクトの命運といったような不可思議なエネルギーがあるのではないか、という気がしてくる。

ローレンス・ロバーツ Lawrence Roberts 1937-2018 コンピュータ科学者
1937年、コネチカット州ウェストポート生まれ。両親とも化学の博士。
教育
1939年(2才)WWII
1945年(8才)WWII終戦
子供の頃から電子工作好き。テスラコイル、テレビの組み立て、トランジスタを使った電話ネットワークの設計など。
1959年(22才)MITで学士(電気工学)
1960年(23才)MITで修士(電気工学)
1962年(25才)IPTOの部長のリックライダーさんからサザランドさん、テイラーさんと共に同志認定される。
1963年(26才)MITでPh.D.(電気工学)
活動
1963年(26才)MITリンカーン研究所に勤務。J・C・R・リックライダーさんの “Intergalactic Computer Network” を読む。タイムシェアリングとコンピュータネットワークに関心を持つ。
1966年(29才)ロバート・テイラーさん(11月9日)の誘いでARPA Information Processing Techniques Office (IPTO) でARPANETのプログラム・マネージャになる。
ARPANETの構築提案。これに対しテイラーさんと Wesley Clarkさんからmessage switching ネットワークにするためInterface Message Processors(IMP)を使う対案が出る。
英国のコンピュータ科学者Donald DaviesさんやRoger Scantleburyさんと情報交換しARPANETに packet switching networkの提案を受ける。RAND社のPaul Baranさんが考案した分散型コミュニケーションネットワークも研究。
1967年(30才)リックライダーさん、サザランドさん、タイラーさんらによる概念的なネットワーク構想を “Multiple Computer Network and Intercomputer Communication” という技術仕様書にする。
1968年(31才)ARPAからARPANET実行の承認を得る。見積依頼を140社に送付。12社から回答があり、最終的にBBN(11月7日)にARPANETの構築とIMPの製作を発注。
ARPANET4つの拠点
・クラインロックさん:UCLAのNetwork Measurement Center、SDS Sigma 7
・エンゲルバートさん:スタンフォード研究所 Augmentation Research Center、SDS 940
・サザランドさん:ユタ大学計算機科学科、DEC PDP-10
・カリフォルニア大学サンタバーバラ校 UCSB Culler-Fried Interactive Mathematics Center、IBM 360/75
1969年(32才)テイラーさんがIPTOを退任したので後任の責任者になる。
10月29日、インターネットの誕生日:UCLAの学生プログラマ、チャーリー・クラインさんがSDS Sigma 7からスタンフォード研究所のSDS 940へメッセージを送信に成功。ARPANETは11月にUCLAとスタンフォード研究所間で、12月に4ノード相互でつながる。
1970年(33才)英国National Physical Laboratoryn(NPL)の Donald DaviesさんとIPTOの間でネットワークを構築。
1971年(34才)英国University College London (UCL)の Peter KirsteinさんとIPTOの間でネットワークを構築。
1973年(36才)ARPA退任。世界初のパケット交換サービス会社Telenetを創業、CEOになる(1980年まで)。
1975年(38才)ARPANETの運営は、ARPAからアメリカ国防情報システム局に代わる。
1983年(46才)Asynchronous Transfer Mode (ATM) の装置製造会社 NetExpress のCEO(1993年まで)。
1993年(56才)ATM Systems の会長(1998年まで)。
2001年(64才)インターネットへの貢献でチャールズ・スターク・ドレイパー賞をクラインロックさん、ロバート・カーンさん、ヴィントン・サーフさんと共同受賞。
2018年(81才)死去。

https://en.wikipedia.org/wiki/Lawrence_Roberts_(scientist)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%84