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▼テイラーさんは現場に身を置いて才能ある人たちが成果を出せる環境を作った人。ARPAではリックライダーさん、サザランドさんに続いくIPTOのマネージャーになって構想だったコンピュータネットワークを現実のARPAネットとして実現まで導く。PARCではパソコンを誕生させた。
▼ところが、ARPAもPARCも見解の相違が顕在化して退任している。自分の考え方に従った結果がそうなのだ。
▼なぜアメリカでコンピュータとネットワークが発達したのか? その答えの一つが、R・テイラーさんがいたから、だ。

ロバート・テイラー Robert William Taylor 1932-2017 コンピュータ科学者
1932年、テキサス州ダラス生まれ。
教育
1939年(7才)WWII
1945年(13才)WWII終戦
1948年(16才)飛び級で南メソジスト大学に入学。
1952年(20才)朝鮮戦争の間、アメリカ海軍予備役(54年まで)。
1957年(25才)テキサス大学に社会人学生として入学。数学と実験心理学の学士。
1959年(27才)テキサス大学で修士(心理学)。聴講生として神経科学、心理音響学、神経系の授業を履修。周りはPhDを取るようにと勧めた。しかし本人曰く「当時は心理学のPhDを取るためには、異常心理学とか社会心理学、臨床心理学、児童心理学といった科目を履修しないといけなかったんです。ところが、私は、そのどれにも興味を持てませんでした。これらはあまり科学的でもないし厳密さもない。私がやりたかったのは、心理音響学とか物理学と生物学を応用した神経心理学などノーマルな人の心理学だったんです。というわけで、やりたくもないことのために時間を無駄にしたくなかったので、PhDは要りません、と返事をしました」
活動
1959年(27才)テキサス大学で助教。フロリダ州にあるHowey Academy(予備校)で数学教師とバスケチームのコーチ。結婚して子供が生まれたためもっと良い給料が出る航空機メーカーのマーティン・マリエッタ社に移って技術者。
1961年(29才)ワシントンD.C.のNASAでプログラム・マネジャー(65年まで)。
1962年(30才)アメリカ国防総省配下の高等研究計画局 (ARPA) IPTO部長、J・C・R・リックライダーさん(47才)やスタンフォード研究所のダグラス・エンゲルバートさんと出会う。
1965年(33才)IPTOに移りアイバン・サザランドさん(11月8日)の補佐になる(ARPAは69年まで)。オフィスにMITのタイムシェアリングシステムTSSに接続した端末、カリフォルニア大学バークレー校のTSSに接続した端末、サンタモニカの System Development Corporation のシステムに接続した端末があった。
1966年(34才)IPTOでアイバン・サザランドさんの後任になる。分離していた端末を結んで相互接続するコンピュータネットワークを構築するためARPAの予算を獲得。MITリンカーン研究所からローレンス・ロバーツさんを引き抜いて担当に据える。現代のルータに相当する Interface Message Processorの開発はじめシステム構築候補を公募した結果、ベル研やIBM研究所は関心を持たず、BBN(11月7日)に発注が決定。
1967年(35才)関係者会議を開催するもネットワーク拠点が余分な仕事が増えると難色を示す。
1968年(36才)J・C・R・リックライダーさんと共同で論文”The Computer as a Communication Device”を発表。ベトナム戦争の米軍に協力するため准将としてサイゴン南ベトナム軍事援助司令部に赴きコンピュータセンターを立ち上げる。司令部とアメリカ本土との通信状況が改善。
1969年(37才)ARPANETの開通を見届けIPTOを退職。ユタ大学のサザランド先生の下でコンピュータグラフィックスの仕事。
1970年(38才)ゼロックスパロアルト研究所PARCのComputer Science Laboratoryで副管理者(PARCは83年まで)。管理者はBBNから来たジェローム・I・エルキンド氏。後に管理者(83年まで)。マウス(エンゲルバートさん、7月1日参照)、A4サイズの縦型モニター、GUIが特長のAlto開発プロジェクトで指導力に優れるテイラーさんが全体をリードした。役割分担は、アラン・ケイさん(7月4日参照)が構想立案、サッカーさん(7月5日参照)がハードウェアの設計、バトラーさん(7月6日参照)がOSを担当。
1978年(46才)PARCの管理者(1983年まで)。この時期PAECではAlto、イーサネット、レーザープリンタ、Bravoなどが誕生した。
1983年(51才)PARCの新任管理者とComputer Science Laboratoryに対する予算配分について意見が違ったためPARCを辞める。これに伴いCSLのメンバーもPARCを去る。
1984年(52才)DECの創業者ケン・オルセンさんの依頼を受け DEC Systems Research Center (SRC) を創設。
1996年(64才)SRCを退職。
1999年(67才) アメリカ国家技術賞を受賞。
2004年(72才)工学分野のノーベル賞と言われるチャールズ・スターク・ドレイパー賞をアラン・ケイさん、バトラー・ランプソンさん、チャック・サッカーさんと共同受賞。
2017年(85才)カリフォルニアで死去。

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