• 電気通信大学、プログラミング教室、東京都調布市

▼バイラスさんはアントネッリさん(10月27日)の大学時代の同級生。数学を専攻した数少ない仲間で、就職先探しも一緒にやっていた様子。アントネッリさんが求人広告でアメリカ陸軍の計算手の仕事を見つけ、一緒に面接を受け採用される。
▼最初の職場はペンシルベニア大学ムーア・スクールで弾道計算を行う。計算手は80人くらいいたようだ。ENIACが完成したのでプログラマとしてアントネッリさんと一緒に抜擢される。
▼WWIIが終わるとENIACはペンシルベニア大学からアバディーンのBRLに移設される。これに伴ってアントネッリさんと共に移動。そこで電気技師のスペンスさんと出会い、結婚。結婚後は仕事から離れ、子育てと家事に専念する生活に切り替える。

フラン・バイラス Fran Bilas (結婚後フランシス・V・スペンス Frances V. Spence) 1922-2012
1922年、フィラデルフィア生まれ。Frances V. Bilas 父は技師、母は教師。
教育
1938年(16才)サウスフィラデルフィア女子高等学校卒業。テンプル大学に入学。
1939年(17才)WWII。チェスナットヒル大学に転入。主専攻が数学、副専攻が物理学。キー・アントネッリさんが同級生。
1942年(20才)チェスナットヒル大学卒業。
活動
1942年(20才)アントネッリさんと陸軍弾道研究所BRLの採用面接を受ける。計算手(computer)として採用。ペンシルベニア大学ムーア・スクールで弾道計算を担当。不足する知識を研修で補う。この間の動きはアントネッリさんと同じ。
1945年(23才)80人の計算手の中からENIACのプログラマとして抜擢WWII終戦
1946年(24才)ENIACを公開。
1947年(25才)陸軍アバディーン性能試験場の電気技師でENIACプロジェクトを担当するホーマー・スペンスさんと結婚。退職。夫が退職し、一家でNYに転居。子育てと主婦。
1997年(75才)オリジナルのENIACプログラマたちと共に Women in Technology International の「女性技術者の殿堂」に入る。
2012年(90才)死去。

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