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▼バベッジさんを心の師と仰ぐエイケンさん(10月16日)が機械式計算機を作ろうとしたとき、IBMに資金の相談をした。そのとき、自ら声をかけたエンジニアがブライスさん。Harvard Mark 1のプレス発表のとき、エイケン先生が協力者として名前を挙げたのはプライスさんだけだった(ほかにもIBMのエンジニアがいたにもかかわらず)。
▼ではブライスさんとはどんな人か、というとアメリカ合衆国特許庁が(1936年の時点で)選んだ10人の発明家に入るような人。タイムレコーダーで出勤時間と退社時間が分かれば、労働時間が分かる。労働時間合計とその労働者の時給を掛け算すると給料が計算できる。これを自動化した人物。
▼当時は、歯車やリレーといった機械式から、真空管を使う電子式に移行する時期だった。ブライス氏は病のため真空管式コンピュータの完成を見ることができなかった。

ジェームズ・W・ブライス James Wares Bryce 1880–1949
1880年、NY生まれ。父はエジンバラ、母はスコットランドの出身。
教育
1900年(20才)製図技師の仕事を得るまでニューヨーク市立大学シティカレッジで学ぶ(3年間)。
活動
1903年(23才)技師で発明家の J. Walter Christie氏の下で前輪駆動のレース車の開発を手伝う。
1904年(24才)H. T. Gossの下で働く。のちGoss & Bryce社として共同経営。
1917年(37才)IBMになる前の Computing-Tabulating-Recording Companyに入り、タイムレコーダーの開発に携わる。労働者の労働時間と時給で行う給料計算をリレーを使った電気機械式乗算器で自動化し、チーフエンジニアになる。
1936年(56才)米国特許庁100周年記念で今世紀最大の10人の発明家に選ばれる。
1937年(57才)ハーバード大学のH・エイケン先生からコンピュータの開発に手を貸してくれと声がかかる。エイケン先生はIBMに自動計算装置Automatic Sequence Controlled Calculator (ASCC)を開発するよう説得していた。IBMはビジネスになりそうと判断してこの話に乗り、資金と技術者を提供する。完成したのがIBMからするとASCCでハーバード大学ではHarvard Mark 1という。
1939年(59才)WWII
1944年(64才)エイケン先生がHarvard Mark Iをプレス発表。このときIBM関係はプライスさんだけ紹介
1945年(65才)WWII終戦
1946年(66才)IBMで初となるビジネス向け真空管式乗算機を設計。これがIBM 603.
1948年(68才)演算論理装置を603に組み込み、Selective Sequence Electronic Calculator (SSEC)の開発を目指すも病に倒れる。
1949年(69才)死去。

https://en.wikipedia.org/wiki/James_W._Bryce