• 電気通信大学、プログラミング教室、東京都調布市

▼ホッパーさんはCOBOLの開発者。
▼ホッパーさんの祖父 Alexander Wilson Russell 氏は南北戦争時、北軍の海軍の提督。
数学に才能があり、小柄だったことから、海軍予備役として艦船建造に必要な計算担当部門の配属になる。配属先がハーバード大学。バベッジさんを心の師匠と仰ぐエイケン先生が推進する Harvard Mark I プロジェクトのメンバーになる。これがコンピュータとの出会い。Mark III まで付き合いが続く。
▼その後、エッカート・モークリー・コンピュータ会社EMCCに入る。エッカートさんとモークリーさんはENIACを企画・設計・製作した当事者。ENIACは陸軍の資金だったので、ホッパーさんは海軍・陸軍両方の資金によるコンピュータに携わることになる。EMCCのマシンの名はUNIVAC。
▼EMCCはほどなくレミントンランド社に買収される。ホッパーさんはそのままUNIVACのプログラミング部門で開発を継続。海軍との関係も維持していてCOBOLの開発へと道が続く。

グレース・マレー・ホッパー Grace Murray Hopper 1906-1992 COBOLの生みの親
1906年、ニューヨーク生まれ。
教育
1923年(17才)ヴァサー大学入学。
1928年(22才)ヴァサー大学でBS(数学と物理)。ファイ・ベータ・カッパ(優秀学生)。
1930年(24才)イェール大学で修士。ニューヨーク大学の教授 Vincent Hopper 氏と結婚(1945年まで)。
1931年(25才)ヴァサー大学で数学を教える。
1934年(28才)イェール大学でPh.D.(数学)。
活動
1939年(33才)WWII
1941年(35才)ヴァサー大学でassociate professor
1943年(37才)米国海軍予備役。
1944年(38才)海軍がハーバード大学に設置した艦船開発局計算プロジェクトに中尉として配属、H・エイケンさん(10月16日)率いるHarvard Mark I のメンバーになる(1949年まで)。
1945年(39才)WWII終戦
1947年(41才)Harvard Mark II 完成。電気機械式のリレーを使用。アメリカ海軍に納品。
1949年(43才)Harvard Mark III 完成。電子部品真空管やダイオードなどの電子部品を使用、プログラム内蔵方式。アメリカ海軍に納品。
1949年(43才)エッカート・モークリーコンピュータ会社EMCC:Eckert–Mauchly Computer Corporation にシニア数学者として入社、UNIVAC I の開発に携わる。
1950年(44才)EMCCがレミントンランド社に買収される。同社でUNIVAC開発チームの自動プログラミング開発部長。
1951年(45才)世界初のコンパイラ A-0 System を開発。
1957年(51才)英語に近い感覚で開発できるコンパイラ言語 FLOW-MATIC を開発。
1959年(53才)国防総省の提案に応え、FLOW-MATICを発展させた高水準言語 COBOL を開発
1966年(60才)中佐で海軍予備役。
1967年(61才)復帰し、海軍作戦部長付部門責任者(プログラミング言語部門担当)。
1973年(67才)海軍大佐。
1983年(77才)海軍代将。
1985年(79才)海軍准将。
1986年(80才)最高齢で退役。国防殊勲章。DECの顧問。
1991年(85才)アメリカ国家技術賞。
1992年(86才)死去。

https://en.wikipedia.org/wiki/Grace_Hopper
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%BC