▼今の時代でいえば、バベッジさんの弟子にして、階差機関・解析機関の理解者にして、史上初のプログラマ。
▼当時の時代では貴族の遊び(?) でも、遊びほど創造的なものはない。
▼父親のバイロンさんは、産業革命初期に起きたラッダイト運動の制圧に対して反対を表明する、詩人として知らない者はないくらいの人。なんだけど、人としてどうなの? という生き方。そんなこともあって、母親は娘が生まれて数週間後に離婚している。母親は成長するエイダさんの性格(目標が達成できそうにないと過度にストレスを感じる)を見て数学を学ばせた。
▼ティーンエイジャーになると先輩の女性科学者の紹介でバベッジさんと知り合う。で、階差機関に惹かれ、数学の弟子になった、というわけ。人の縁が化学反応を引き起こす。
エイダ・ラブレス Ada Lovelace 1815-1852 史上初のプログラマ
1815年、詩人バイロンの一人娘。母は生後1か月のエイダを連れてバイロンと別れる。
教育
1816年(1才)母は教養がある人で数学を学んでいた。
母や幼少期のエイダに家庭教師をつけて数学と科学の教育を受けさせる。
1823年(8才)一度も会ったことがないまま父が死去。
活動
1833年(18才)天文学者で数学者のメアリー・サマヴィルさんを介してチャールズ・バベッジさんと出会う。階差機関の説明を聞いて強い興味を持つ。バベッジさんはエイダさんのメンター兼数学の師匠になる。
ロンドン大学教授のド・モルガン先生からも数学を学ぶ。
製作中の階差機関を見学し魅了される。
1835年(20才)William Kingさんと結婚。二人とも馬好き。社交好きでC・ディキンズさんやM・ファラデーさんと交流。
1837年(22才)コレラにかかり、回復に時間がかかる。喘息と消化器系の疾患に悩む。医師が与えた痛み止めのアヘンによって幻覚症状が起こる。
1842年(27才)バベッジさんがイタリアで解析機関について講演した記録本を翻訳(1843年まで)。 イタリア人のLuigi Federico Menabreaさんがスイスのジャーナルに発表するためにフランス語で書いたもの。バベッジさんの勧めで英訳すると共に大量の訳注を付ける。その中の解析機関用プログラムのコードが世界初のコンピュータプログラムになる。
1843年(28才)英語の科学ジャーナルにエイダさんの脚注つきバベッジさんの講演記録が掲載。著者名はA.A.L.のみ。これは Augusta Ada Lovelaceの頭文字。
エイダさんは、バベッジさんの計算機では文字や記号も数字と同じように扱えることやループ機能に触れている。このことからエイダさんが史上初のコンピュータ・プログラマと目される。
当時、エイダさんの論文はほとんど注目されることがなかった。
エイダさんは自分の数学理論を証明するためギャンブルを始める。しかしうまくいかず財政的に困窮する羽目になる。
1852年(37才)死去。父の墓の隣に埋葬される。
1953年、B.V. Bowden氏の著書「Faster Than Thought: A Symposium on Digital Computing Machines」でエイダさんが再発見される。
1980年、 アメリカ国防総省U.S. Department of Defenseは新しく開発したプログラミング言語をAdaと命名。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%96%E3%83%AC%E3%82%B9
https://www.biography.com/scholar/ada-lovelace