▼イギリスの産業革命の時期は、1760年代から1830年代まで。モーズリーさんの人生は、1771年から1831年なので、産業革命と重なっている。しかもモーズリーさんは「工作機械の父」。つまり生産用の機械を作ったり、蒸気機関を作ったりする、ものづくりのプロのための機械や道具を作る人。産業革命の土台を作った。
▼バベッジさんの階差機関の製作に携わった腕利き技術者はモーズリーさんの工房出身者だった。工房で製品を作るだけでなく、立派な腕を持つ技術者も作っていたわけだ。
▼モーズリーさんは、自分がものづくりのセンスと技量が抜きん出た技術者であっただけでなく、最効率の工程を作る名人だった。その極致が規格化だ。モーズリーさん以前は、ボルトとナットはその都度、作るものだった。今では考えられないけど、互換性がないボルトとナットでものを作っていた。不便だし効率が悪いことはなはだしい。それを今の形にした。
▼階差機関を手掛けたのは、そういうモーズリー工房の精神文化を継承した技術者たちだ。階差機関は資金の都合で最終的な見なかったのは残念だ。当時の最先端を超えようとしていたのか。レプリカだがこれを見て欲しい。 https://www.youtube.com/watch?v=XSkGY6LchJs
ヘンリー・モーズリー Henry Maudslay 1771–1831 工作機械の父
1771年、ロンドン生まれ。父は王立造兵廠で武器職人。
教育
1780年(9才)父が死去。
活動
1783年(12才)王立造兵廠で薬莢に火薬を詰める少年工powder monkeyになる。
1785年(14才)大工の工房に異動。
1786年(15才)鍛冶blacksmithとして修業を開始。軽くて複雑なものを作る才能を発揮。王立造兵廠だけでなく王立鋳造所でも働いた。
1789年(18才)発明家のジョセフ・ブラマーさんに複雑な鍵を安く製造できる職人として引き抜かれ工房入りする。水圧機のピストンのガスケットの発明、工具送り台付き旋盤を開発するなど加工精度の向上に寄与。工房の主任になる。
1791年(20才)結婚。
1797年(26才)貢献しても給料が上がらないためプラマー工房から独立。Henry Maudslay and Companyを設立。マーク・イザムバード・ブルネルさんの依頼で滑車製造用に42台の木工機械を製作。それまで110人を要したのが10人で済むようになった。
1800年(29才)産業用ねじ切り旋盤を発明。工房内のねじを規格化。
10,000分の1インチ(約3マイクロメートル)を計測するベンチマイクロメータを発明。
1810年(39才)職人が80人を超えたので広い工房に移転。海軍省の製図工ジョシュア・フィールドさんを採用(のち共同経営者)。
1815年(44才)モーズリー工房で初の船舶用蒸気機関を製造。テムズ川の蒸気船「リッチモンド」に使用。クレメンテさん在籍(10月13日)。
1823年(52才)イギリス海軍最初の蒸気船「ライトニング」用の蒸気機関を製造。
1825年(54才)マーク・イザムバード・ブルネル(以前の滑車製造機械の依頼人)が、テムズトンネルの事業に着手。工事に不可欠のシールドマシンをブルネルさんが設計、モーズリー・サンズ・アンド・フィールド社が製造。排水用蒸気ポンプも製造。ホイットワースさん(10月14日)が1830年前後に在籍。
1831年(60才)死去。
1833年、息子らがMaudslay, Sons and Fieldを設立。
1838年、イザムバード・キングダム・ブルネル(マークさんの息子)さん設計の客船「グレート・ウェスタン」用の蒸気機関を製造。750馬力。
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