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▼今回のクレメンテさんは、1823-32年の間、バベッジさんの階差機関を製作した精密機械の職人。最初に出会ったときクレメンテさんは44才、バベッジさんは32才。階差機関の開発資金は政府から出た。しかし、途中で資金不足を起こしめでたく完成とはいかなかった。
▼クレメンテさんは加工機械そのものの開発に熱意を持っており、より精度の高い加工ができる工夫やボルト・ナットの規格を標準化するイノベーティブな考え方を持っていた。もちろん技術もすごくて、一時期、イギリスの工作機械の父・モーズリー工房で、同工房が初めて開発する蒸気エンジンの設計にも加わったほどの技術者。
▼階差機関の仕事を終えてからは精密機械加工から離れ、好きな楽器の演奏やオルガン製作を楽しむ生活を送った。
▼イギリスが農業社会から工業社会に転換する産業革命の時期は1760~1830年代だ。バベッジさんは1791年生まれ、クレメンテさんは1803年生まれ。階差機関は、産業革命が進行中で機械工作技術の最先端を走っていた。

ジョセフ・クレメンテ Joseph Clement  1779–1844 技術者
1779年、北イングランドのウエストモーランド生まれ。父は手織職人。
教育
読み書きは学校で習い、技術や自然科学は父から学ぶ。父は旋盤を自作する技術を持つ人。
活動
織工(手織りが機械式に置き換わり将来性が乏しい)、屋根ふき職人(すぐ飽き足らなくなる)、鍛冶屋で金属加工見らないとして働く(適性あり)。ロンドンから時計職人をしていた親戚が帰ってきて話を聞き、将来、機械職人になる夢を持つ。技術力向上のため、旋盤を自作。趣味で楽器の製造も手掛ける。
1805年(26才)キルクビーステファンにある工場で織機を製造。職人としてカーライル、グラスゴーと町を渡り歩く。グラスゴーでPeter Nicholson氏について製図法を学ぶ。
1812年(33才)スコットランドのアバディーンでLeys, Masson & Co.を設立。同地のマーリシャル・カレッジで自然科学を学ぶ。
1813年(34才)職場を探すためロンドンに移る。
1814年(35才)Bramah’s Pimlico works(J・Bramah氏の工房)の製図担当と現場監督になる。Bramah氏の死去に伴い、退職。Maudslay, Sons and Field に移り製図主任になる。モーズリー工房の初期型の船舶用蒸気エンジンの設計を担当。
1817年(38才)モーズリー工房を頻繁に訪れていたノーサンバーランド公爵の後押しを得て、モーズリー工房から独立。精密機械の設計・製造の工房を開設。
1818年(39才)大工が使用する楕円コンパスをヒントに発明した楕円製造機が評価され英国王立芸術協会から金メダルを授与。旋盤の自動化、精密化に取り組む。
1823年(44才)バベッジさんの階差機関の製作を担当(33年まで)。バベッジさんには開発費用負担が重くのしかかる。
1827年(48才)開発した旋盤がこれまで最高の精度を出したことから王立芸術協会から金メダルを受ける。
1828年(49才)旋盤に加えた改善が評価され同協会から銀メダルを受ける。同じ規格で量産できるねじ切り装置を開発。モーズリー工房でも一緒だった後輩の職人 Joseph Whitworth さんが標準化の取組を引き継ぐ。
1833年(54才)階差機関の仕事を終える。音楽演奏とオルガン製作に向かう。
1844年(65才)死去。

https://en.wikipedia.org/wiki/Joseph_Clement
https://web.archive.org/web/20060504030822/http://www.pioneers.historians.co.uk/clement.html