• 電気通信大学、プログラミング教室、東京都調布市

▼精密機械の象徴、時計で時代を作った人(1)はピエール・ドローさん(10月7日)です。
▼コンピュータの歴史でバベッジさんの階差機関は計算機の「画期」として必ず登場する。
ここでは、そもそもどういうわけであのように精密な機械装置を作ることができたのか、そこを探っていく。
▼バベッジさんが階差機関の設計に取り組み始めたのは1820年くらい。その装置が動くところをちょっとYouTubeで見て欲しい。無数の金属歯車やシャフトが組み合わさって、手回しの動力でメカが動いている。
▼これほど精密な金属部品があったからこそ階差機関ができたわけだ。ではなぜそんな技術があったのか?知りたくなる。その答えを言おう。精密時計を作り出す金属加工技術がすでにあったからだ。
▼階差機関からさかのぼること200年。1600年代は船で世界に乗り出していた時代。航海に必要な船の位置は天体観測で割り出していた。それだけでも相当に正確だった。でもきっちり正確な位置を計算するには、正確な時刻のデータが必要だった。それが国を挙げての強いニーズになっていた。というのは、当時のヨーロッパでは国を挙げて領地拡大、覇権争いに熱中していたから。性能の良い時計には賞金を出す、といって開発を促していた。陸上では正確な振り子時計も船に乗せると、船は揺れるので使い物にならない。だから船の揺れに耐えられる精密時計が必要だった。これが精密時計を開発するモチベーションになっていた。
▼バベッジさんの階差機関と時計を比べると一目瞭然。サイズこそ違うものの、ギア・回転・シャフトなど主要なパーツは共通だ。というわけなので、階差機関製造の前段となる精密機械加工技術の発達を時計に焦点を当ててこれから数回にわたって見ていく。

▼J・ハリソンさんはイギリスのクロノメーターの生みの親。しかし労働者階級の出身だったため、議会や学者から正当に扱われない。つまり支払われるべき賞金もなんだかんだと文句を付けられて支払われない。業を煮やしてイギリス国王に直訴。国王が性能を確かめ、賞金は身分にではなく、結果に出すもの、と言って賞金を出させる。
▼報われるとは何か?と思いながら年表を辿ると味わい深い。ハリソンさんがすごい人物だと分かる。

ジョン・ハリソン John Harrison 1693-1776 イギリスの時計製作者

1693年、英ヨークシャー州フォールビー生まれ。父は木工職人。
教育
1699年(6才)天然痘にかかる。静養中、父が慰めにくれた時計に興味を持つ。音を聞いて内部の動きをイメージした。父親の木工を手伝いながら、独学で物理学や機械工学を学ぶ。
活動
1713年(20才)木工の傍ら、時計の製作を開始。性能の良さが評判になり注文や修理依頼が増える。
1714年(21才)木工仕事をやめ時計専業になる。イギリス海軍とロンドンの貿易商人・商船船長が合同で「経度に関する請願」を英国議会に提出。
1722年(29才)グラスホッパー脱進機を発明。
1728年(35才)経度時計の製作に必要な要素技術を開発(35年まで)。
1730年(37才)新しい時計を開発するため、王立天文台長エドモンド・ハレー氏に面会し経度時計のアイデアを伝える。高名な時計技師であるジョージ・グラハムさんを紹介してもらう。開発資金調達に成功。
1736年(43才)クロノメーター「H1」を製作、イギリス海軍の船センチュリオン号に持ち込み性能試験。規定の性能に届かなかったものの、経度委員会から改良のための資金援助を受ける。
1739年(46才)「H2」が完成。陸上テストを受ける。
1741年(48才)「H2」の海上テスト予定とオーストリア継承戦争の勃発が重なり、敵国に時計を奪われるのを避けるため試験見送り。経度委員会から開発資金を得てバイメタルを発明。
1757年(64才)バイメタルを採用した「H3」が完成。
1760年(67才)携帯用の「H4」が完成。
1761年(68才)「H4」が航海実験で良好な成績を出したのでイギリス政府は20000ポンドの懸賞金を支払う旨公表。しかし、天文学者から誹謗中傷の報告書が出され、ハリソンさんの身分が貴族でないことへの攻撃もあり、当初の条件と別に追加試験が課された。
1763年(70才)追加試験でも良好な成績を出すも、正当に評価されず、賞金の支払いも3000ポンドに留まった。
1764年(71才)「H5」が完成。5ヶ月間の航海で誤差15秒という優秀成績を出す。しかし議会や経度委員会がなんだかんだと文句をつけ賞金を5000ポンドに引き下げ。
1769年(76才)5000ポンド支払われる。
1773年(80才)ハリソンさんは困った挙句、国王ジョージ3世に助けを求める手紙を出す。国王は顛末を知って理解。ハリソンさんに宮殿での実験を命じる。その実験データを見せられた議会は結果に問題なしと判断。経度委員会も結果を認め懸賞金の残り全額を授与。
1776年(83才)死去。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%BD%E3%83%B3_(%E6%99%82%E8%A8%88%E8%81%B7%E4%BA%BA)
https://en.wikipedia.org/wiki/John_Harrison
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%8E%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC