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▼ヴォーカンソンさんの生まれは1709年、ジャカールさんは1752年。だから二人の間には43年の差がある。ジャカールさんはパンチカードを使った織機を発明したことでコンピュータ史に登場する。ジャカールさんがリヨンの絹商人の依頼を受けて高効率な織機の開発を引き受けたとき、賢いジャカールさんがしたのは先行事例の調査だった。それでパリの国立工芸院に足を運んだわけだ。そこには40年前にヴォーカンソンさんが開発したパンチカード式の自動織機が展示されていた。
▼ジャカールさんは、ヴォーカンソンさんの織機を分析して、当時のニーズに合うように洗練した織機に仕立て直した。
▼それほどのヴォーカンソンさんの織機は、なぜ世界で初めてパンチカードを使った織機としてスポットライトを浴びないのか。その理由は、織物職人に支持されず、商業的に成功しなかったから。
▼オートマタとはロボットのこと。ヴォーカンソンさんは、笛を吹く人、タンバリンを叩く人、がちょうなどの作品を作った。これが解剖学的にもメカニズム的にも音楽的にもエンターテインメント的にもウルトラ級の仕上がりで、見世物興行で大成功を収める出来栄えだった。アナログ制御で作るロボットとして当時、世界最高レベルにあった。
▼それだけの技量を持つヴォーカンソンさんがなぜオートマタを止めて織機の開発を手掛けたかというと、フランスの織物工業の振興のためだった。

ポイント1 新しいものを作るときはやみくもに取り掛かるのではなく先行事例を調べるの定石だ。
ポイント2 商業的にヒットするかどうか、と技術的に歴史を超えるメッセージ性を持つかどうかは別の話。
ポイント3 パリの国立工芸院のように、ここに行けば技術に触れられるという場を持っているのがさすが文化国家フランスである。

ジャック・ド・ヴォーカンソン Jacques de Vaucanson 1709-1782

1709年、フランス南東部の都市グルノーブル生まれ。手袋の製造を営む貧しい家の10人兄弟の末。
教育
子供のころから時計や懐中時計の修理に才能を示す。
教会の事務所に置いてある時計や説教ロボット(当時、人気があった)の複製を作るなどで技量を高めた。一家も時計職人になると期待していた。
1715年(6才)イエズス会のグルノーブル学校に入学。
1725年(16才)リヨンのミニモ修道会に入り宗教学を学ぶ。
1727年(18才)貴族から機械製造を依頼され、専用の工房を提供される。同じ年、フランス国立工芸院の責任者の訪問を受ける。
これがきっかけでものづくりマインドが燃え、晩餐の給仕ロボットとテーブルを綺麗にするロボットを制作する。
1727年(18才)二つのロボットを見た政府の役人がヴォ―カンソンさんは神を冒涜していると主張、工房ごと破壊するよう命令。
活動
1728年(19才)ものづくりに専念するため修道院を辞めパリに転居。当時パリで最も金持だったS・Bernardさんの励ましと金融支援を受け王立植物園で薬学と解剖学を学ぶ。
1731年(22才)パリでの修行を終えリヨンに帰還。有名な外科医・解剖学者のClaude-Nicolas Le Cat先生に会う。この先生の興味は人間の解剖学的形態と動きを模した模型レプリカントを作ることだった。
この出会いでヴォーカンソンさんの最初のロボット作品の方針が決まる。
1732年(23才)それまで作成したロボット作品をもってフランスを巡回。
1733年(24才)新たなロボット開発のためJ・Colvéeさんから資金援助を受ける。
1736年(27才)Colvéeさんの資金を浪費したので挽回するため新たにパリのJ・Marguin氏と契約。内容はヴォーカンソンさんが「The Flute Player 笛吹き人形」を制作したら、Marguin氏が所有権の三分の一、巡業で得た利益の半分を得るというもの。
1737年(28才)世界最初のロボット「The Flute Player」を完成。高さ178センチ、岩に座った羊飼いが横笛を吹く姿。局のレパートリーは12曲。岩の中に仕込んだ装置から送られた空気が唇からフルートに送られ、指でキー操作をする。人間がフルートを吹くのと同じ状態をロボットで再現した。
1738年(29才)「笛吹き人形」は最初、科学アカデミーで公開。その後一般公開。まずサンジェルマンのお祭りで公開、次にパリのホテルで公開。高額な入場料にも関わらず大評判となる。入場者数が減ってくるとこんどはフランス国内巡業、イタリアとイングランドでも公開巡業を行った。
1738年(29才)笛吹人形と詳細を書いた論文を科学アカデミーに提出。その後「The Tambourine Player タンバリンを叩く人形」と代表作となる「The Digesting Duck 消化するアヒル」を制作。
1741年(32才)ルイ15世の宰相フルーリー枢機卿からフランス絹織物生産の検査官に任命される。イングランドの後塵を拝している絹織物産業の競争力強化が目的。
1742年(33才)幅広い布が織れる織機の開発に取り掛かる。
1743年(34才)ロボット3体ともリヨンの起業家たちが買い取り10年以上にわたって興行。残念ながら現存しない。
1745年(36才)織機の先人BouchonさんとFalconさんのパンチカード織機を参考に改良し世界初の完全自動織機を開発(50年まで)。プロトタイプは機構は優れていたものの、職人が使う現実とかけ離れていたため支持を得られなかった。
1746年(37才)科学アカデミーの会員。このときから名前に de が付く。
1751年(42才)旋盤を開発。19世紀のものづくりの先駆的価値を持つ。
1770年(61才)絹の巻取り機構や水車小屋の動力伝達用にチェーン駆動方式を発明。
1782年(73才)発明品コレクションをルイ16世に遺贈。パリのフランス国立工芸院で展示される。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3
https://history-computer.com/Dreamers/Vaucanson.html