▼コッドさんは、コンピュータ活用の一分野としてデータベースという世界を切り開いたパイオニアの一人。もと英国空軍のパイロットでオックスフォード大学出身の数学者。
▼コンピュータ科学の主要な分野に位置づけられ、基本情報技術者試験やITパスポート試験でも重視されているデータベース。コンピュータに真空管を使っていた1950-60年代は、データベースの考え方そのものがなかった。データを扱うのに慣れた科学者が自分たちの目的のためにデータを貯めたり取り出していたものの、企業ではデータの活用は未発達だった。
▼コッドさんは60年代から数学者とコンピュータの両方に通じた人で、コンピュータを使うビジネスマンがデータベースを自在に操作できる理想像を持っていた。そこでIBMで仲間と共に開発したのがリレーショナル・データベース・モデル。しかしなぜかIBMはコッドさんのRDBモデルの商品化に消極的だったので、コッドさんは独立して啓発普及に尽力する。
エドガー・フランク・コッド Edgar Frank “Ted” Codd 1923-2003 計算機科学者
1923年、イングランドの南海岸に位置するドーセットの生まれ。父は皮革工場経営、母は教師。
教育
1930年(7才)ドーセットのPoole グラマースクールに通う。
1939年(16才)WWII。
1941年(18才)オックスフォード大学エクスターカレッジに奨学金を得て入学。化学を学ぶ。
1942年(19才)イギリス空軍沿岸軍団RAF:Royal Air Force Coastal Commandのパイロットになる。飛行訓練のため渡米。この経験から飛行が趣味となり、アメリカの良さを知る。
1945年(22才)WWII終戦。
1946年(23才)オックスフォード大学エクスターカレッジに復帰。
1948年(25才)オックスフォード大学エクスターカレッジで数学のB.A.と M.A.。
活動
1948年(25才)渡米。NYのマーシー百貨店の男性用スポーツウェア売り場で店員。
1949年(26才)テネシー大学で講師(数学)を半年務めたあと、プログラミング担当の数学者としてIBMに入社。
1950年(27才)防衛用・科学計算用コンピュータIBM The 701の開発に関わる。
1953年(30才)マッカーシー上院議員による「赤狩り」に反対しカナダに移りComputing Devices of Canada社でデータ処理部門を担当。
1957年(34才)赤狩り旋風が収まりIBMの同僚の誘いで米国IBMに戻る。IBMのメインフレーム7090の開発に携わり、マルチプログラミング技術の開発チームをけん引。
1961年(38才)IBMの奨学金でミシガン大学でM.Sc.(コンピュータとコミュニケーション科学)。
1965年(42才)ミシガン大学でPh.D.(コンピュータとコミュニケーション科学)。アメリカ市民権を獲得。IBMに復帰。
1968年(45才)データベースの研究開発に携わるため、サンフランシスコにあるIBMの研究所に移る。リレーショナルデータベースを提唱。
コッドさんによるリレーショナルデータモデルが以降の基準となる。
1970年(47才)データベースの専門家でない人でも必要なデータが取り出せる方法を考案。
IBMはリレーショナルDBの商品化を急がなかったためオラクルなど競合他社が乗り出す。それに気が付いたIBMはコッドさんとは別のRDB(SQL/DSなど)を商品化する。
1981年(58才)チューリング賞を受賞。リレーショナルデータベースの理論と実践に対する根本的な貢献に対して。
1984年(61才)IBMを退社。
1985年(62才)The Relational Institute and Codd & Date Consulting Groupを設立。リレーショナルデータベースの意義をユーザー、ベンダーに説く活動を継続。
2003年(80才)死去。
https://amturing.acm.org/award_winners/codd_1000892.cfm
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%BBF%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%89