• 電気通信大学、プログラミング教室、東京都調布市

▼第二次世界大戦の時、軍人だった父親がソ連軍に逮捕・投獄され獄中死を遂げるという目に遭う。終戦後、生き残った一家はドイツに逃れる。ハルトマニスさんはドイツの大学に進み、卒業後はアメリカの大学院で数学を学ぶ。GEの研究所でR・スターンズさんとの出会いが神への道の始まり。
▼コンピュータが計算をするとき、計算内容によってどれくらいの時間とメモリが必要になるのか、に興味を持ち、計算複雑性と名付ける。このテーマで書いた共著論文が1993年のチューリング賞受賞の理由になる。
▼受賞理由:R・スターンズ氏と共に計算複雑性理論という新しい分野を創り出したこと。
自分たちの理論に汎用性を持たせるため、モデルとしてチューリング・マシンを使ったこと、その結果、複雑性の分析に使う新しい定理を次々に発見できた。

ユリス・ハルトマニス Juris Hartmanis 1928- 計算機科学者

1928年、ラトビアに生まれる。父はラトビア陸軍の将軍。
教育
1939年(11才)WWII
1940年(12才)ラトビアに侵入したソ連軍に父が逮捕・投獄され獄死。
1945年(17才)WWII終戦。ソ連軍を恐れ一家でドイツに移住。
1949年(21才)ドイツのマルブルク大学で学士(物理学)。渡米。
1951年(23才)米ミズーリ大学カンザスシティ校で M.A.(数学)。
1955年(27才)カリフォルニア工科大学でPh.D.(数学)。
活動
1955年(27才)コーネル大学でInstructor(57年まで)。
1957年(29才)オハイオ州立大学でAssistant Professor(58年まで)
1958年(30才)GEの研究所に数学研究者として入る(65年まで)。R・スターンズさん(9月10日)と知り合う。
1965年(37才)スターンズさんと共著論文「Classification of Computations by Time and Memory Requirements」を発表。
1965年(37才)コーネル大学の教授。世界初のコンピュータサイエンス学科の設立に尽力。初代研究科長に就任。
1993年(65才)チューリング賞受賞
1999年(71才)ミズーリ大学カンザスシティ校から名誉博士号。

https://amturing.acm.org/award_winners/hartmanis_1059260.cfm
https://en.wikipedia.org/wiki/Juris_Hartmanis
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%B9