• 電気通信大学、プログラミング教室、東京都調布市

▼フロイドさんがチューリング賞を受賞した理由は次である。「ソフトウェア開発において効果的で信頼性の高い方法論を示し、それが広い影響を及ぼしたこと。コンピュータ科学に次の重要な分野を追加したこと:解析理論、プログラミング言語の意味論、自動プログラム検証、自動プログラム合成、アルゴリズムの分析」
▼フロイドさんは6才で神童と認定され、飛び級で14才で大学生になり17才で卒業する。コンピュータとの出会いで、自然言語を機械語に変換するコンパイラに惹かれる。コンパイラは人間と機械の間で意思疎通する翻訳者・編集者の役割なので、コンパイラを理解するには人間の言語と機械の特性の両方に通じる必要がある。フロイドさんは、そのコンパイラを知的活動のベースにした。
▼D・クヌースさんとの出会いと交流がその後の人生を決定づけている。クヌースさんはフロイドさんを高く評価し、スタンフォード大学の教員として推薦する。学部卒業の資格だけで教員になったのは超珍しい例。クヌースさんはThe Art of Computer Programmingを編集するにあたり、「コンパイラに関して書かれた論文の中で本当に良いものは5本しかない。その5本の著者がフロイドさんだ」と語ったほどフロイドさんの能力を評価していた。

ロバート・W・フロイド Robert W. Floyd 1936-2001
アメリカ合衆国の計算機科学者。

1936年、ニューヨーク生まれ。
1939年(3才)WWII。
1942年(6才)天才児と認められる。
1945年(9才)WWII終戦。
教育
1950年(14才)何度も引っ越したにも関わらず高校までの学習を終え飛び級で卒業。シカゴ大学の天才児用特別プログラムに入る。
1953年(17才)シカゴ大学でB.A.(リベラル・アーツ)を取得。
1953年(17才)イリノイ工科大学 研究所のスタッフ・メンバーになる(62年まで)。
コンピュータに出会いマニュアルを読み込んでプログラマになり、シニアプログラマ、アナリストへと成長。 人間に近いハイレベル言語をマシン語に変換するコンパイラに興味を持ち、論文にして公開。
1958年(22才)シカゴ大学で学士(物理学)を取得。
活動
1962年(26才)マサチューセッツに本拠地があるComputer Associatesのシニア・プロジェクト・サイエンティストになる(65年まで)。
1965年(29才)カーネギーメロン大学のAssistant Professorになる(68年まで)。
1966年(30才)D・クヌースさん(6月22日)とThe Art of Computer Programmingの編集に携わる。
1967年(31才)Alan Perlis氏、J・マッカーシーさん(6月20日)らとプログラムの検証をコラボ。
1968年(32才)クヌースさんの推奨でスタンフォード大学のAssociate Professorになる(70年まで)。学部の卒業生で教員になるのは異例。
1970年(34才)スタンフォード大学のFull Professorrになる(94年まで)。
1973年(37才)スタンフォード大学コンピュータサイエンス学科の長になる(76年まで)。
1978年(42才)チューリング賞を受賞
1994年(58才)スタンフォード大学を退任。The Language of MachinesをRichard Biegel 氏と共著で出版。
2001年(65才)死去。

https://amturing.acm.org/award_winners/floyd_3720707.cfm
https://en.wikipedia.org/wiki/Robert_W._Floyd
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%89