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WWIIの後、イギリスではプログラム内蔵方式のコンピュータ開発が3か所で進められていた。ケンブリッジ大学数学研究所のM・ウィルクスさん(5月21日)、国立物理学研究所NPLのJ・ウィルキンソンさん(8月28日)そしてマンチェスター大学計算機研究所だ。3つに関係しているのがチューリングさん。▼トゥーティルさんはNPLからマンチェスター大学に移ってきたチューリングさんにキルバーンさん(8月31日)と開発したManchester Babyの使い方をレクチャーする。すぐチューリングさんはBabyで動かすプログラムを書き、トゥーティルさんがデバッグする。Babyはブラウン管がメインメモリに使えるかをテストするためのコンピュータだった。ちゃんと動いたことから、こりゃイイということになってマンチェスター大学のコンピュータ開発が勢いづく。▼トゥーティルさんもキルバーンさんも大学時代がWWIIと重なっていたので2年間しか在籍せずそのまま現場に出て働き始めている。それですごい成果を上げている。二人とも上司のウィリアムズさんがちゃんと働きに報いるタイプだったので、博士号も取得できた。▼この時代、イギリスでコンピュータ開発に関わる人はチューリングさんはじめ全員が数学者だ。数学ってそれほど現実の役に立つものだったのか!と気づかされる。

ジェフ・トゥーティル Geoff Tootill 1922–2017 コンピュータ科学者。
1922年、英国のランチェスター生まれ。
バーミンガムの King Edward’s Schoolに通う。
1939年(17才)WWII。
教育
1940年(18才)ケンブリッジ大学クライスト・カレッジに入学。数学を学ぶ。
1942年(20才)戦争のため短縮でケンブリッジ大学を卒業。
活動
1942年(20才)電気通信研究財団 Telecommunications Research Establishment(TRE)に入る。
1943年(21才)軍の飛行場で夜間に運用するレーダーの問題発見・改善、実装に従事。
1945年(23才)WWII終戦
1947年(25才)F・ウィリアムスさん(8月31日)から誘われマンチェスター大学でT・キルバーンさん(8月31日)と共にManchester Baby の開発に参加。
1948年(26才)メモリにCRTを使ったテスト用のコンピュータManchester Babyをキルバーンさんと試作、成功する。
1948年(26才)チューリングさんがNPLを辞めてマンチェスター大学の計算機研究所の副所長に就任。
1948年(26才)チューリングさんにManchester Babyの操作法をレクチャー。
1948年(26才)マンチェスター大学から修士号を取得。Universal High-Speed Digital Computers: A Small-Scale Experimental Machine
1949年(27才)Ferrantiに短期間籍を置いて商用コンピュータ向けの論理回路を設計。
1949年(27才)王立軍事科学大学の上級講師になり、デジタルコンピュータの研究を主導。
1956年(34才)英国国立航空研究所 RAE に入り航空管制システムを手掛ける。英国コンピュータ協会の設立に参加。
1963年(41才)新設された欧州宇宙機構 ESRO に入り、管制部門の統括責任者になる。
1973年(51才)NPLに入り、ヨーロッパ情報通信ネットワークの標準策定に携わる。
1982年(60才)NPLを退職。
1997年(75才)ラテン語、ギリシア語、フランス語、ドイツ語の知識を活かし英国風に聞こえる名付けアプリのアルゴリズムを開発。
1998年(76才)マンチェスター科学・産業博物館でManchester Babyの完全レプリカThe Babyの発表式典に参加。
2017年(95才)死去。

https://en.wikipedia.org/wiki/Geoff_Tootill
https://ja.wikipedia.org/wiki/Manchester_Small-Scale_Experimental_Machine