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アレグザンダーさんとチューリングさんはケンブリッジ大学キングス・カレッジの同窓生。年齢はチューリングさんが3つ上。ただしアレグザンダーさんが首席で卒業する年にチューリングさんが入学する、順序逆転が起こる。▼二人の共通点は、数学、チェス、ブレッチェリー・パーク、エニグマの解読。戦後、アレグザンダーさんはコンピュータには進まず、情報機関に所属しながらチェスの試合や執筆に進んだ。チューリングさんはチェスのプログラムの開発を行った。▼チェス選手のピークは20代後半から30代前半と言われている。しかしアレグザンダーさんは戦争や情報機関に所属したので制限を受けながらも、40-50代も現役の選手として活躍した。イギリスのチャンピオンになったのは47才だ。▼チームメンバーの力を引き出す能力が高かったので60才を過ぎるまで政府機関に所属して暗号解読部門を率いた。国も頼りたくなる人だったことが分かる。チェスの勝負アタマと暗号解読アタマの間にどんな共通点と相違点があるのだろう。

コーネル・ヒュー・オドネル・アレグザンダー Conel Hugh O’Donel Alexander 1909-1974
暗号解読者、チェス選手

1909年、アイルランドのコーク生まれ。父は工学の教授。
教育
一家がバーミンガムに転居。キング・エドワード・スクールに通う。
1928年(19才)ケンブリッジ大学キングスカレッジで数学を学ぶ。
1929年(20才)ケンブリッジ大学チェスチーム代表選手。1930、31、32年も代表選手を務める。
1931年(22才)ケンブリッジ大学キングスカレッジを首席で卒業。
1933年(24才)チェス・オリンピアードのイギリス代表。 1935、37、39、54、58年も代表を務める。
活動
1932年(23才)ウィンチェスターで数学を教える。
1938年(29才)ジョン・ルイス・パートナーシップの研究職のリーダー。イギリスのチェスチャンピオンになる。
1939年(30才)WWII
1940年(31才)ブレッチリー・パーク政府暗号学校のHut 6に所属。ドイツ陸軍と空軍のエニグマ解読に従事。
1941年(32才)Hut8に異動。チューリングさんの副主任として解読と部門の運営に携わる。
1942年(33才)チューリングさんが渡米中、Hut 8の主任。
1944年(35才)異動して日本軍暗号JN-25の解読に従事。
1945年(36才)WWII終戦
1946年(37才)政府通信本部GCHQに異動。
1949年(40才)暗号解読を担当するセクションHの主任。
1950年(41才)チェスのインターナショナルマスターを授与。
1964年(55才)チェスのイギリスチームの専任キャプテンになる。
1970年(61才)イギリスチームのキャプテンを退く。通信チェスのインターナショナルマスターを授与。
1971年(62才)GCHQを引退。
1956年(47才)イギリスのチェスチャンピオンになる(二度目)。
1974年(65才)死去。

https://en.wikipedia.org/wiki/Conel_Hugh_O%27Donel_Alexander
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%89%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%B0%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC