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幼少時から数学の才能が輝いていたウィルキンソンさん、大学の学部卒業の年とWWIIの開戦が重なった。大戦中は政府機関で数学力を発揮して爆発や弾道の計算で貢献。終戦後は大学に戻らずチューリングさんが設計したプログラム内蔵方式のデジタルコンピュータACEの開発を手伝うため国立物理学研究所に入る。しかし、1,2年のうちにチューリングさんがマンチェスター大学に移ったので、後任としてACEのパイロット版を完成。▼ウィルキンソンさんのすごいのは、デジタルコンピュータがあってこそ可能となる数学計算をACEで行い、数値解析や応用数学の分野を切り拓いたところ。自分たちの手でコンピュータを作り、数学の道具として使いこなして新しい価値を生み出した、という起承転結をつけるところ。▼1970年にチューリング賞を受賞。受賞理由は、ハイスピード・デジタルコンピュータを駆使した線形代数と誤差解析の功績。チューリング賞受賞者の中でチューリングさんを直接知る最後の受賞者となった。

ジェームズ・ハーディ・ウィルキンソン James Hardy Wilkinson 1919-1986
数学者。最初期のデジタルコンピュータの制作者。

1919年、イギリスのケント州 Strood 生まれ。
教育
1930年(11才)幼少時から数学の才能を示す。奨学金を得たので実家の経済状態では学費が払えない理系エリート校Sir Joseph Williamson’s Mathematical Schoolへ入学。
1939年(20才)WWII。ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジを最優秀で卒業。大学院に進学する予定だった第二次世界大戦が始まったため方針転換。
活動
1939年(20才)英国政府軍需省。爆発熱力学、弾道学等の分野で貢献。
1945年(26才)WWII終戦
1946年(27才)大学に戻らずチューリングさんがいる国立物理学研究所 NPL に入る。チューリングさんが設計した世界初のプログラム内蔵型コンピュータAutomatic Computing Engineの開発に従事。
1947年(28才)チューリングさんがマンチェスター大学に移ったため、ACEプロジェクトの後任になる。
1950年(31才)ACEのプロトタイプPilot ACEを完成。コンピュータがあってこそ可能となる行列計算などの数学分野を開拓。
1970年(51才)チューリング賞を受賞
1973年(54才)Heriot-Watt大学から名誉博士号を授与。
1980年(61才)NPLを退職。
1986年(67才)死去。

https://amturing.acm.org/award_winners/wilkinson_0671216.cfm
https://en.wikipedia.org/wiki/James_H._Wilkinson
https://ja.wikipedia.org/wiki/ACE_(%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BF)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%83%BBH%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3