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ポイント1:並外れた集中力・完結力! エニグマの解読に言語学からアプローチした古典文学者。パピルスに書かれた古代ギリシャ語を解読。パピルスの破片で目を悪くするほど研究に打ち込む。共同研究者と古代ギリシャ詩人の詩集を出版して仕事を完了させる。その実績を買ったイギリス軍からリクルートされ30才から暗号解読一筋。
ポイント2:マニア! 商用エニグマが出たとき自ら購入して研究するほどの暗号マニア。ポーランドの暗号解読者M・レイェフスキさん(8月22日)との情報交換で、アプローチ法に言語学と数学の違いはあっても、お互いに響き合うものを感じる。
ポイント3:全体の利益を考え他分野の専門家を尊重! 暗号解読に数学者が重要であることに気づき、ブレッチェリー・パークに数学者を増やす役を果たす。レイェフスキさんらが開発したポーランドの暗号解読機bombaの情報をチューリングさんに伝える。チューリングさんはすぐbombaを超えた解読機bombeを設計。
ポイント4:成果を出して感謝される! 地中海でイギリス-オーストラリアの海軍とイタリア海軍の間で起こったマタパン岬沖海戦でイタリア海軍の暗号を解読し、勝利したイギリス海軍から大感謝された。残念ながらWWIIが終わる前に病に倒れ、連合国の勝利を目にすることはできなかった。

ディリー・ノックス Dilly Knox 1884–1943 古典文学者、暗号学者。
1884年、イギリス生まれ。父は教師。
教育
オックスフォードのサマーフィールド学校とイートン・カレッジで学ぶ。
1903年(19才)ケンブリッジ大学キングスカレッジで古典を学ぶ。
1909年(25才)ケンブリッジ大学キングスカレッジの研究員になる。
活動
1914年(30才)WWI。英国海軍本部の40号室で暗号解読に従事。
1917年(33才)ツィンメルマン電報の解読に成功。この快挙は軍事機密だったので一般に知られることはなかった。
1918年(34才)WWI終戦。
1920年(36才)商用版のエニグマが流通し始める。
1922年(38才)古代ギリシャの詩人・ヘロンダスの研究家W・ヘッドラム氏と古代ギリシャの詩人ヘロンダスのパピルス文字を解読し(この時、パピルスの破片で目を傷める)、共著を出版。
1925年(41才)仲間の暗号解読者H・フォスさんが評価した商用C型エニグマを購入して研究する。
1926年(42才)ナチス軍がエニグマを採用。スペイン内乱の時、フランコ軍に提供する。
1937年(53才)フランコ軍のエニグマ暗号を解読。さらに複数のエニグマを組み合わせたマシンで暗号攻撃した。
1938年(54才)GCCSとフランスの暗号部門がエニグマ情報の連絡会議を持つ。フランス側がポーランド軍暗号部隊とのつながりを明かす。
1939年(55才)1月 GSCSとポーランド・フランスの暗号専門家がパリで最初の連絡会議。ポーランドは警戒して情報を出さなかった。しかしレイェフスキさん(8月22日)がGSCS代表のノックスさんの理解力に驚嘆。
7月 ポーランドで二度目の連絡会議。今度は実のある情報交換ができた。ノックスさんは感謝の手紙を送る。
9月 WWII。チューリングさんにbombaを紹介。チューリングさんはすぐbombeを設計。
1941年(57才)イタリア海軍のエニグマを解読し、マタパン岬沖海戦でイギリス連合軍の勝利に貢献。さらにドイツ軍情報機関のエニグマの解読に挑戦。
1942年(58才)リンパ腫に倒れる。パークに通勤できなくなり自宅で仕事を継続。P・Twinnさんがチームを引き継ぐ。
1943年(59才)死去。

https://en.wikipedia.org/wiki/Dilly_Knox