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第一次世界大戦後、ドイツ軍を脅威に感じていたポーランドは、早くから暗号解読に力を入れていた。エニグマを解読するには、ドイツ語ができる優秀な数学者という条件が必要だった。その条件を満たしていたのが20代のレイェフスキさん。軍の解読チーム牽引役として大貢献した。▼エニグマの解読は初めのうちこそ短時間でクリアしたものの、エニグマのバージョンアップに伴いハードルがぐいぐいと上がった。軍事的な緊張の高まり、予算と人手の不足のため、これ以上ポーランド単独での解読は無理、という状態になる。そこで同盟国とノウハウを共有することになり、イギリスにレイェフスキさんらが蓄積したエニグマの解読技術が提供される。このおかげで連合軍の被害が抑えられ、戦争終結も前倒しになったと言われる。▼チューリングさん、フラワーズさんらと同じく、携わっていた内容が軍事機密の仕事だったので、戦後長い間、人に知られることがなかった。WWII後ほぼ30年が経ち、ポーランドのエニグマ解読の話が公になる。そのときレイェフスキさんは68才。それから自分の仕事を語ることができた。

マリアン・アダム・レイェフスキ Marian Adam Rejewski 暗号解読者。

1905年、ポーランド生まれ。父は煙草を扱うビジネスマン。
教育
1914年(9才)WWI。
1918年(13才)WWI終戦。
ビドゴシチ国立ギムナジウム卒業
1923年(18才)中等教育修了資格試験合格
ポズナン大学数学科に入学
1929年(24才)ポズナン大学の修士号を取得。 暗号学講座に参加。
活動
1930年(25才)ポズナン大学で助手。暗号局ポズナン支局でドイツ無線を解読。
1932年(27才)ポーランド軍参謀本部暗号局勤務。ドイツ海軍の4文字暗号の解読に成功。
1932年(27才)エニグマの解読に着手。エニグマのキモ、暗号化ローターの配線の復元に成功。
1936年(31才)ドイツ軍がエニグマをバージョンアップ。
1937年(32才)電気モーター駆動式エニグマ解読装置ボンブを開発。
1939年(34才)WWII。エニグマの進化に追い付けない。ポーランド軍はエニグマ暗号解読の秘密を同盟国と共有。
1939年(34才)暗号局のメンバーと共にルーマニアに避難し、フランスに逃れる。
1940年(35才)フランス-ポーランドの合同情報部隊ブルーノ機関でドイツ軍の暗号解読。
1942年(37才)ドイツ軍無線探索部隊が反独無線局を探索。運よく脱出に成功、イギリスに逃れる。ポーランド軍参謀本部無線部隊に所属。ナチス親衛隊と親衛隊情報部の暗号解読に従事。
1945年(40才)WWII終戦。大尉に昇進。
1946年(41才)ポーランドに帰国。家族と合流。
1949年(44才)保安庁が監視。
1958年(53才)保安庁の監視が終わる
1967年(62才)年金生活に入る。
1973年(68才)エニグマ解読におけるポーランド人の功績が公開される。
1978年(73才)ポーランド復興オフィツェルスキ十字勲章を受勲。
1980年(75才)死去。

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