資料を読むとM・ニューマンさんは信頼できる人、という印象を受ける。ケンブリッジ大学の学生チューリングさんの才能を認め、プリンストン大学への留学とA・チャーチ先生を紹介したのはニューマン先生である。▼一家がドイツからの移民だったので、WWIが始まると父親は英国の敵国民ということで収容所に入れられてしまう。そんな経験があってもWWIIではナチスの暗号を解読するため自ら軍へ協力し、Colussusで解読を成功させる。チューリングさんもエニグマを解読。▼戦後はマンチェスター大学の数学のトップになり、またもチューリングさんを仲間に入れてコンピュータ作りに挑戦する。完成したManchester Mark Iで問題のアルゴリズムを考え、チューリングさんがプログラミングする共同作業は楽しかっただろう。勲章の打診に対して、チューリングさんに対する国の姿勢のおかしさに抗議して辞退。こういう硬派なところもうれしい。
マックス・ニューマン Maxwell Herman Alexander Newman
1897年、ロンドン、チェルシー生まれ。父はドイツ出身のユダヤ人。
教育
1908年(11才)City of London School 入学。
1914年(17才)WWI。父は敵性外国人として強制収容所に収容。
1915年(18才)ケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジに入学。数学を専攻。
1916年(19才)姓を英語風の Newman に改名。 国民兵役につく。
1918年(21才)良心的兵役拒否のうちにWWI終戦。
1919年(22才)大学に復学。
1921年(24才)首席で卒業。
活動
1923年(26才)セント・ジョンズ・カレッジの研究員。
1927年(30才)ケンブリッジ大学の数学講師。
1935年(38才)チューリングさんにゲーデルの理論を講義。
1936年(39才)チューリングさんからプレゼンを受け重要性を理解。プリンストン大留学とA・チャーチ先生を紹介。
1937年(40才)家族とプリンストンに半年間滞在。
1939年(42才)WWII。ナチスの恐怖から妻と子供をアメリカに避難させる。
1942年(45才)ブレッチリー・パークに着任。ドイツの暗号Tunnyの解読機械の開発に挑戦。
1943年(46才)最初の試作機が完成、運用。信頼性向上のためT・フラワーズさんが参加しColussusになる。
1945年(48才)WWII終戦。マンチェスター大学数学科のトップに就任。
1947年(50才)A・チューリングさんをマンチェスター大学に呼び寄せる。
1948年(51才)大学内に王立協会計算機研究所を創設。チューリングさんが副所長に就任。
1948年(51才)Manchester Mark I 完成。ニューマンさんがアルゴリズム担当、チューリングさんがプログラミング担当。
1964年(67才)引退。
1984年(87才)死去。
https://en.wikipedia.org/wiki/Max_Newman
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3