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第一次世界大戦と第二次世界大戦の両方を経験した数学者、哲学者。ノイマンさんが激賞した「ゲーデルの完全性定理」「不完全性定理」で有名。ウィーンでナチス・ドイツの圧力、危険に苛まれ続ける。27才のとき初めてプリンストン研究所IASに行き、アインシュタインさんと友情を結ぶ。これが縁で毎年IASに行くことになる。その間、ヨーロッパではどんどんナチス・ドイツの影響が色濃くなるも、なかなかウィーンを去ろうとせず、やっとアメリカに移住するのは6年も経ってから。その時は大西洋はUボートが民間船を撃沈させる危険があったのでシベリア鉄道を使い日本へ、そして太平洋と米国を横断するという大移動だった。

クルト・ゲーデル Kurt Gödel 1906-1978
数学者・論理学者・哲学者

1906年、オーストリア=ハンガリー帝国(現在のチェコ共和国)ブルノ生まれ。
父は繊維工場の管理者。母親っ子として育つ。
教育
1912-16年(6-14才)ブルノにあるルター派の小学校に通う。
1914-18年(8-12才)WWI
1916-24年(14-18)州立高校に通う。全科目優秀。特に数学、言語学、宗教学に優れる。数学は大学レベルに達していた。
1918年(12才)第一次世界大戦終戦後、国が崩壊し、チェコスロバキア市民になる。しかし、気持ちはオーストリア=ハンガリー帝国に帰属。
1924年(18才)ウィーン大学に入学。最初は理論物理学、数学、哲学へと関心が進む。ボローニャでD・ヒルベルト先生の講義を受講。
1929年(23才)チェコスロバキア市民から離れ、オーストリア市民になる。
1930年(24才)「第一階述語論理の完全性定理」を発表。H・ハーン先生の指導の下でウィーン大学博士の学位を得る。

活動
1931年(25才)「不完全性定理」を発表。ノイマンさん(8月3日)が激賞。「人間の理性の限界を示した」と評価。

初のIAS
1933年(27才)初めて渡米し、27才年上のアインシュタインさん(8月9日)と友達になる。アインシュタインさんとIASで毎年講義を行う約束をする。ウィーン大学の無給教員になる。ヒトラーの率いるナチスが勢いをつける。
二度目のIAS
1934年(28才)プリンストン高等研究所IASで講義を行う。プリンストン大学でPhDを取ったばかりの学生が講義ノートを取り、後に出版されている。
三度目のIAS
1935年(29才)再びIASを訪問。旅行とハードワークのため鬱になり休養が必要となる。
1936年(30才)ナチスの影響はオーストリアだけでなくウィーンの数学界にも及び、ゲーデルさんの論理の指導者M・シュリック先生が元教え子に暗殺される。この事件がきっかけになって毒殺の妄想に襲われる神経症になる。数か月、療養所に入るまでになる。
四度目のIAS
1937年(31才)今回のIAS訪問では講義を行うことができた。
五度目のIAS
1938年(32才)IASを訪問。出版も行う。ナチス・ドイツがオーストリアを占領。自動的にドイツ市民にされる。ナチスは大学に対して専任講師の廃止を命令。そのためゲーデルさんは新しい職種に応募しなくてはならなくなった。ユダヤ人サークルの仲間でもあったH・ハーン先生がゲーデルさんを引き上げようとしてくれたが、そのために申請書が却下される。さらにドイツ軍に徴兵されそうになる。
六度目のIAS
1939年11月(33才)WWII。大西洋航路は危険だったので、シベリア横断鉄道を使って日本に行き、太平洋経由でサンフランシスコに渡り、米国を横断してプリンストンのIASに着いた。
1940年(34才)プリンストン高等研究所IASの教授になる。アインシュタインさんと散歩しながら議論を深めた。後、アインシュタインさんはゲーデルさんとの散歩を「特権」と語った。
1945年(39才)WWII終戦
1946年(40才)IASのパーマネントメンバーになる。
1948年(42才)アメリカ市民になる。
1953年(47才)IASのフル・プロフェッサーになる。
1976年(70才)IAS名誉教授になる。

https://en.wikipedia.org/wiki/Kurt_G%C3%B6del
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%AB
Kurt Gödel – from the Limits of understanding