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科学者と言うとアインシュタインさんが思い浮かぶスター的な存在。青年時代から好きなことをする、嫌いなことはしない、反抗的なタイプ。そのため学者の道に入れず特許局の職員になる。それも悪い選択ではなく、好きな物理に没頭できた。立て続けに論文を発表するも、学会はこいつ誰?的な受け止め。しかし重鎮マックス・プランク先生が支持したことで状況が変わる。職場も大学に替わり学者の道を進む。プリンストン高等研究所IASの設立時の教授になったときは70才。この時、ドイツ・ナチスはアインシュタインさんを国家反逆者に指定。アメリカに渡らなければどんな目に遭っていたか。原子力の戦争利用について76才の時は前向き(しかしマンハッタン計画には参加していない)、原爆投下を知った82才以降は平和利用へと立場を変えた。

アルベルト・アインシュタイン Albert Einstein 1879-1955 理論物理学者

1879年、ドイツのバーデン=ヴュルテンベルク州生まれ。
教育
1884-87年(5-8才)ミュンヘンのカトリック系の公立学校に通う。
父から方位磁針を貰い、自然界への興味に目覚める。
ヴァイオリンを習い始め、モーツァルトが好きになる。
1887-94年(8-15才)ミュンヘンのルイトポルト中等学校に通う。
ピタゴラスの定理が好きになり、自力で証明。
叔父さんからユークリッド幾何学の本を貰い、微分学と積分学を独学。
1895-1900年(16-21才)チューリッヒ連邦工科大学で学ぶ。数学と物理が抜群にできる。興味がない科目の成績は最低。しかも反抗的。ドイツ市民権を放棄。
1901年(22才)スイス国籍を取得。

活動
1902年(23才)スイス特許庁に就職。物理学に没頭。
1905年(26才)3本の論文を発表。「奇跡の年」と言われる。博士号を取得。マックス・プランク氏の支持があり学会入り。
1907年(28才)E=mc²を発表。
1909年(30才)特許局を辞めチューリッヒ大学の助教授になる。ジュネーヴ大学から名誉博士号。
1910年(31才)プラハ大学の教授になる。
1912年(33才)チューリッヒ連邦工科大学の教授になる。
1914-18年(35-39才)WWI
ノーベル賞
1922年(59才)日本に旅行。旅行中、ノーベル物理学賞を受賞。理由は「光電効果の発見」。

ドイツからアメリカへ
1932年(69才)ナチスのドイツを離れる。ベルギー、イギリスを経てアメリカに渡る。

プリンストン高等学術研究所IASの教授
1933年(70才)プリンストン高等学術研究所IASの教授に就任。ナチス・ドイツはアインシュタインを国家反逆者に指定。
1935年(72才)アメリカ国籍を申請。
1939年(76才)フランクリン・ルーズベルト大統領にウランの軍事利用を示唆する手紙を出す。WWII
1940年(77才)アメリカ国籍を取得。
1943年(80才)アメリカ海軍省兵器局の顧問になり魚雷の起爆装置を改善。
1945年(82才)原爆投下に衝撃を受け、以後、原子力の平和利用促進の立場になる。WWII終戦

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