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弾道研究所BRLの主要関係者の一人ドライデン氏をご紹介する。ドライデン氏は、コロナウィルスの報道で感染者数を発表している「ジョンズ・ホプキンズ大学」の出身。100年前、飛行機やロケットの翼を設計するときの基礎理論を流体力学・数学・実験で基礎づけた人物。例えば翼に設計ノウハウを取り入れたP-51マスタングという戦闘機はそれまで無敵だったゼロ戦の強敵になった。レーダー誘導式爆弾のBatは日本海軍の粟国に損傷を与えた。ドライデン氏は、現実に適用されて成果を出す研究をする人だった、逆に言うと現実の成果につながる研究をした人だった。

ヒュー・ドライデン Hugh Latimer Dryden 1898-1965 航空学者

1898年、メリーランド州生まれ。
教育
1912年(14才)数学が超できたのでバルチモア・シティ・カレッジ高校を設立以来の最短記録で卒業。
1912-15年(14-17才)奨学金を得てジョンズ・ホプキンズ大学で学ぶ。3年で卒業。
1916年(18才)ジョンズ・ホプキンズ大学で修士(物理学)を取得。論文は、航空力学の具体的応用について論じたもの。
1918年(20才)商務省規格基準局NBSに就職し計器類の検査官になる。ジョンズ・ホプキンズ大学のジョセフ・エイメス博士の応援を得てNBS風洞実験部門に異動。
1919年(21才)ジョンズ・ホプキンズ大学院の流体力学コースで最年少記録でPh.D.(物理と数学)を取得。テーマは、円柱のまわりで起こる空力を論じたもの。

活動
1920年(22才)NBSで新設された空力部門のディレクターになる。ライマン・ブリッジズ博士と協力して音速時の翼について研究。気流、乱気流、翼の境界面で生じる現象に関する研究のパイオニアになる。研究成果は、P-51マスタング(水冷エンジン搭載の高性能戦闘機)をはじめ第二次大戦の戦闘機の翼設計に活かされた
1934年(36才)NBS力学・音響部門のチーフ。
1939年(41才)全米航空諮問委員会NACAの委員に指名。
1941年(43才)第二次世界大戦の始まりと同時にアメリカ空軍のアドバイザーになる。レーダー誘導式爆弾Batの開発をリード。
1945年(47才)Batが日本海軍の海防艦「粟国」に命中。
1946-48年(48-50才)アメリカ航空諮問委員会NACAのディレクターになる。ノースアメリカンのX-15(ロケットエンジンの超音速実験機)の開発に貢献。垂直/短距離離着陸機V/STOLの開発に着手。ロケット等の大気圏突入時の問題も研究。
1958年(60才)NACAが組織改編でNASAになる。長官代理を終生務める。

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https://en.wikipedia.org/wiki/Hugh_Latimer_Dryden