• 電気通信大学、プログラミング教室、東京都調布市

学生時代にノイマン先生(5月18日)のコンピュータ講義を聞いて自分の進路を決め、職場でリックライダーさん(7月14日参照)のビジョンに共感してARPANETを後押しした。コンピュータとネットワークが将来の社会でどのように役立つのかを超一流の人物から学び、DARPAの部長の立場から実現を促進する意思決定を行った人物。

C・ハーツフェルド Charles M. Herzfeld 1925–2017 コンピュータ科学者。技術管理者。

1925年、オーストリアのウィーン生まれ。
教育
ナチスドイツがオーストリアを占領したため、アメリカに逃れる。
1940年代、アメリカ市民権獲得。
1945年(20才)ワシントンDCにあるカトリック大学アメリカ校からBS(工学)を取得。
1951年(26才)シカゴ大学からPhD(物理化学)を取得。在学中にノイマン先生のコンピュータ講義を聞き強く影響を受ける。

活動
1951-53年(26-28才)ENIACとEDVACを発注したアメリカ軍の研究機関BRLに入り物理学者として働く。
1953-55年(28-30才)アメリカ軍の研究機関NRLに所属。
1961年(36才)DARPAに所属。最初の2年間は弾道ミサイルの防衛プロジェクトのマネジメントを担当。
1963-65年(38-40歳)DARPA副部長。リックライダーさん(7月14日参照)からコンピュータを活用する新しい社会ビジョンの講義を受け、その実現をDARPAでのミッションとする。
1965-67年(40-42歳)DARPA部長。インターネットの祖先ARPANETの企画がDARPAのプロジェクトになるよう後押しする意思決定を行う。
DARPAを離れた後は、数多くの会社や組織で働く。

https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_M._Herzfeld
Charles Herzfeld on ARPAnet