• 電気通信大学、プログラミング教室、東京都調布市

インターネットは一日にしてならず。ARPAが必要だった。リックライダーさんからテイラーさん、そしてロバーツさんという流れが必要だった。リックライダーさんの「銀河間コンピュータネットワーク」という魅力的なタイトルの論文に惹かれた段階でロバーツさんのミッションは決まっていたように見える。現代のコンピュータネットワークのキーワードがまだイメージやプロトで研究者の間で浮遊していた時代。不思議な引力でお互いに引き寄せられて仕組みとして機能し始める。ロバーツさんはARPAの予算配分の成功の仕上げ役である。

ローレンス・G・ロバーツ Lawrence G. Roberts 1937-2018
インターネットの基盤となったパケット通信とARPANETの開発を主導した人物の1人

1937年、米国南部のコネチカット州ウェストポート生まれ。両親とも化学博士。
子供の時からテスラコイル作成、テレビの組み立てを行っていた。

教育
1959年(22才)マサチューセッツ工科大学MITで学士(電気工学)を取得。
1960年(23才)MITで修士(電気工学)を取得。
1963年(26才)MITでPh.D.(電気工学)を取得。継続してMITのリンカーンラボで研究。リックライダーさんの論文「銀河間コンピュータネットワーク(Intergalactic Computer Network)」に出会う。これをきっかけにコンピュータネットワークを使ったタイムシェアリングに研究対象として興味を持つ。

活動
1967年(30才)ARPAのR・テイラーさん(7月7日参照)からARPANETのプログラムマネージャに誘われる。最初はホストコンピュータ同士が直接結びつくネットワークを提案。この設計をよしとしなかったW・A・クラークさんから、後のルータの原型になるアイディア=メッセージをやりとりする専用のコンピュータを挟む方式((Interface Message Processors:IMP)を提案される。この年のシンポジウムで、クラークさんのIMPに基づく話をプレゼン。結果的にBBN社がARPANET運用の実装(ソフトウェアの設計、ネットワーク管理)を請け負うことになる。
1968年(31才)L・クラインロックさんと共に実装・契約を管理、パケットを送受信するネットワークのパフォーマンスの数学モデルを開発。
1969年(32才)R・テイラーさんがベトナムに転任したので後任になる。
1969年10月29日、UCLAとスタンフォード研究所(SRI)間でIMPを用いた初のインターネット通信が成功する。インターネットの誕生日である。

https://en.wikipedia.org/wiki/Lawrence_Roberts_(scientist)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%84