コンピュータを動かすにはプログラミングが必要。OSのレベルでその時代の常識を超えた操作環境を実現するビジョナリー、エンジニア、クリエイター、プログラマ、PhD。ランプソンさんは1970年代に50先のパソコンの姿を先取りする「Alto」を生み出した開発メンバーの一人。当時、ゼロックス・パロアルト研究所の顔ぶれがいかにすごかったかが伝わってきます。
バトラー・W・ランプソン Butler W. Lampson 1943- 計算機科学者
1943年、ワシントンD.C.生まれ。
中高時代
全寮制のエリート校ローレンスビル・スクールで学ぶ。
初めて接したコンピュータは、同級生が見つけて利用許可を取ってきたパンチカード式のIBM650。
大学時代
1964年(21才)ハーバード大学でプログラミング言語APLを修得し、物理学の学士号を取得。カリフォルニア大学バークレー校大学院に進学。ここでGenieプロジェクトを知り、専攻を物理学からコンピュータに変更。Genieプロジェクトは、SDS930ミニコンをタイムシェアリングで扱えるようにするもの。このプロジェクトではOSとプログラミング言語の開発を担当。
1967年(24才)カリフォルニア大学バークレー校で電気工学と計算機科学のPhDを取得。
起業とその後
Genieプロジェクトの成果をもっと大きなシステム開発に適用するため、メンバーでバークレー・コンピュータ・コーポレーションBCCを起業。2年に渡ってOSとプログラミング言語の設計と開発を担当。
1970年(27才)、BCCはゼロックス・パロアルト研究所のコンピュータ・サイエンス・ラボCSLに移行。メンバーはサッカーさん(7月5日参照)、P・Deutschさん(PostScriptの開発者)、C・Simonyiさん(エクセルの開発者)、J・Gray(データベースの功績で1998年チューリング賞を受賞)さん、そしてバトラーさん。
実績
1973年(30才)3ボタンマウス、A4サイズ縦型モニター、GUIが特長のAltoを開発。役割分担は、アラン・ケイさん(7月4日参照)が構想立案、サッカーさんがハードウェアの設計、バトラーさんがOSを担当。
受賞
1992年(49才)ワークステーション、ネットワーク、OS、プログラミングシステム、ディスプレイ、セキュリティ、文書の公開等によるパーソナルコンピューティング環境と実装技術への貢献に対してチューリング賞を受賞。
https://amturing.acm.org/award_winners/lampson_1142421.cfm
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97%E3%82%BD%E3%83%B3
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