• 電気通信大学、プログラミング教室、東京都調布市

コンピュータが大型だった時代に、子供が持ち運んで使える小型のパソコンを提唱した人。
コンピュータ・リテラシーという用語を作ったプログラミング教育のパイオニアのひとり。

アラン・カーティス・ケイ Alan Curtis Kay 1940- コンピュータ科学者

1940年、マサチューセッツ州スピリングフィールド生まれ。父親は義手・義足のデザイナー。母親は音楽家。学期の奏法は母から習った。芸術、文学、科学に取り囲まれる環境で育つ。3才から小学校に上がるまで150冊の本を読む。ニューヨークに一家で転居。名門ブルックリン技術高校に入学。しかし、最後の学年で学校に反抗して中退。卒業に必要な単位は揃えていたので西ヴァージニアのベタニー大学に入る

大学
大学卒業前にアメリカ空軍に入隊。軍で初めてコンピュータと出会い、IBM1401プログラマの適性テストに合格。軍では数多くのコンピュータを経験。除隊してコロラド大学に入る
1966年(26才)コロラド大学から数学と分子生物学の学士号を取得
ユタ大学大学院入学。Edward Cheadleさんと組んで「パーソナルコンピュータ」と名付けたFLEXの開発プロジェクトを立ち上げる。FLEXプロジェクトの進行中、さまざまな研究者のインターフェース、ハイパーテキスト、マウス、プログラミング言語Logo、フラットパネルディスプレイなどに影響を受ける
1969年(29才)ユタ大学からコンピュータサイエンスのMSとPh.D.を取得

卒業後
スタンフォード人工知能研究所の研究員になり、プログラミング言語を開発
このとき、ノートブックパソコンを構想。Logoと共に子供が使いこなせるコンピュータを構想
1971年(31才)ゼロックスのパロアルト研究所PARCに入り、未来のオフィス研究に参加
このとき、以前からのノートブックパソコン構想を「ダイナブック」に集約すると共にプログラミング言語Smalltalkを仲間と共に生み出す

受賞
2003年(63才)オブジェクト指向プログラミングの基礎となる多くの考え方を生み出したパイオニアとして、Smalltalkの開発リーダーとして、パソコンの基礎に対する貢献に対してチューリング賞を受賞

https://amturing.acm.org/award_winners/kay_3972189.cfm
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%82%A4
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