• プログラミング教室、電気通信大学、調布市

1950年代のコンピュータは、お客がハードを新しくするとソフトもイチから作り直さなくてはならなかった。ソフトはそのまま続けて使いたいお客にとっては不便きわまる。そこでハードとソフトを切り離せば問題が解決するじゃん!という発想がIBMで生まれた。この発想を実現したのが名機IBM360。その開発のリーダーがF・ブルックス氏。
氏曰く「一番の貢献は、8ビットを1バイトに定めたことだね。6ビットで1バイトという考えの人もいた。でも8ビットにしたからこそ大文字と小文字がコンピュータで扱えるようになったんだよ」

▼フレデリック・フィリップス・ブルックス・ジュニア Frederick Phillips Brooks, Jr. 1931-
ソフトウェア技術者、計算機科学者

▼チューリング賞
1999年(68才)コンピュータ・アーキテクチャ、OS、ソフトウェア工学に対して画期的な貢献をしたことでチューリング賞を受賞

▼教育
1931年、北カロライナ州生まれ
1953年(22才)デューク大学で学士(AB in physics)
1955年(24才)ハーバード大学修士(SM) 指導教員はHarvard Mark I(1947)を開発した巨匠ハワード・エイケン先生
1956年(25才)ハーバード大学博士(応用数学)

▼業績
1956年(26才)IBMに入社。素子に真空管ではなくトランジスタ15万個をぶっこんだ科学計算用スパコンStretch、その改良型7950 Harvestの開発に携わる
1960年代(30代)コンピュータ・メーカーが増えて競争が激化。顧客は少しでも処理が速いコンピュータに乗り換えようとする。でも、コンピュータを変えるたびにソフトウェアを作り直す必要があった。手間と金がかってしょうがない問題が発生。
1964年(34才)IBMの幹部が、顧客が機種を更新してもソフトが続けて使える新機種System/360の開発を決定。ブルックスさんが開発グループのマネジャーになって市場に投入。大成功を収める。ブルックスさんは数多くの貢献の中で最大のものが8ビットを1バイトにしたこと、としている。

▼名言
1975年(44才)ブルックスの法則を発表:「遅れているソフトウェアプロジェクトへの要員追加は、プロジェクトをさらに遅らせる」
1986年(55才)No Silver Bullet(悪魔退治の銀の弾丸は無い)を発表:「ソフトウェア開発プロジェクトで発生する問題を一気に解決する魔法のような方法はないという意味」

https://amturing.acm.org/award_winners/brooks_1002187.cfm
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9
ICSE 2018 – Plenary Sessions – Frederick P. Brooks Jr.