• 電気通信大学、プログラミング教室、東京都調布市

ノーベル賞学者レオンチェフ先生の膨大なデータをHarvard Mark IVで実行できるようプログラミングで処理した。この経験から配列処理に特長があるAPL(a programming language)を開発した。

ケネス・ユージン・アイバーソン Kenneth Eugene Iverson 1920-2004

カナダの情報工学者、計算機科学者。
1920年、ノルウェー移民の農家の子としてカナダに生まれる。
1926年(6才)地元の one-room school に入学。できが良く、1-4年相当を1年で終える。
1927年(7才)大恐慌になったこともあり、9年生相当で学校を卒業。家の農業を手伝う。
1937年(17才)通信制の学校De Forest Training Schoolで微積分を勉強していた。
1939-45年(19-25才)第二次世界大戦の間、Royal Canadian空軍に入隊。偵察飛行専門の技術者として働く。高卒の資格をとるため通信教育を継続。
1946年(26才)除隊後の政府のサポートと空軍仲間の「こいつが大学に行くチャンスを掴まないようだったらアタマをぶん殴れ」という「脅し」でオンタリオ州のQueen’s大学に入学
1950年(30才)トップの成績で卒業。学士(数学、物理)
▼1951年(31才)Harvard大学修士(数学)。修士になった後、H.エイケン先生(Harvard Mark Iの開発者)の見習い弟子のように鍛えられる。W.レオンチェフ先生(産業連関分析でノーベル経済学賞)が産業連関の研究で膨大な行列の計算が必要になったため、Harvard Mark IVを使うことにした。そこでエイケン先生に鍛え抜かれたアイバーソンさんが計算用のプログラミングから稼働まで一式を担当。成功させ高い評価を受ける
▼1954年(34才)ハーバード大学博士号(応用数学)。学位取得後すぐエイケン先生から「これからはビジネス分野でコンピュータが使われるようになる。ビジネスデータの処理法について研究し授業できるように準備せよ」と指示を受ける。助教授として5年間、配列を数学的記法で操作する方法を開発し授業で教えた
1960年(40才)IBMに入社。配列の数学的記法をベースにIBM System 360 で動くAPLを開発

▼1979年(59才)APLに代表される数学的記法とプログラミング言語理論への貢献でチューリング賞を受賞

1980年(60才)IBMを辞め、カナダでIPSA(I.P.Sharp Associates)を創業。APLを推進しながら、カナダの企業にコンピュータのタイムシェアリングサービスやコンサルティング、emailサービスなどを提供した
1987年(67才)会社経営から引退
1989年(69才)R.Huiさんらとインタプリタ、後のJ言語を開発
1990年代-(70代-)HuiさんとJ言語の発展と数学教育に携わる
2004年(83才)死去

https://en.wikipedia.org/wiki/Kenneth_E._Iverson
https://amturing.acm.org/award_winners/iverson_9147499.cfm
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3
The Origins of APL – 1974(2分27秒から登場)