• 電気通信大学、プログラミング教室、東京都調布市

人の作ったものが気に入らなければ自分で作るを実行した人。10代から音楽、文法構造、物理、数学が好き。

ドナルド・エルビン・クヌース Donald Ervin Knuth 1938- 数学者、計算機科学者

1938年、ウィスコンシン州ミルウォーキー生まれ。父は小さな印刷会社の経営者、Lutheran高校の簿記講師、教会のオルガン奏者。クヌースさんも同じ高校に進学。高1-2年の間、英語の文法構造に興味を持つ。”Ziegler’s Giant Bar” という文字列から文字を取り出して組み合わせると、どれだけの数の意味のある単語を作れるかというコンテストがあった。審査員の回答例は2500語、これに対してクヌースは4500語で優勝。賞品として学校に新品のテレビが贈られ、生徒全員にキャンディバーが配られた。物理好き、数学は得意だったので、大学進学を前に、音楽と物理学のどちらを専攻するか思案
1956年(18才)奨学金が出たのでオハイオ州のCase Western Reserve大学に入学、物理の道へ。大学でIBM 650に出会う。マニュアルを読むと、自分のほうが良くできると考え、アッセンブリとコンパイラのコードを書き換える
1958年(20才)大学のバスケットボールチームが勝ちやすくするため、選手の得点力からvalueを割り当てるプログラムを開発。新奇性がありニューズウィーク誌やCBSテレビが取り上げる
1959年(21才)物理学から数学に転向
1960年(22才)格別に優れた成果が認められ学士号と修士号を同時に得る
1963年(25才)カリフォルニア工科大学Ph.D.(数学)。同大学の准教授に就任
The Art of Computer Programming(TAOCP) シリーズの執筆を開始
1974年(36才)アルゴリズムの解析、プログラミング言語の設計、TAOCPの仕事に対して第9回チューリング賞を受賞
1976年(38才)E・ダイクストラさんらの提唱する構造化プログラミングを知る。
TAOCPの続巻を本にするさい、組版に不満があったので、自分でコンピュータ組版システムTeX とフォントの設計システムMETAFONTの開発に着手。このとき構造化プログラミング手法を使う。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%8C%E3%83%BC%E3%82%B9
https://amturing.acm.org/award_winners/knuth_1013846.cfm
Donald Knuth – How I got interested in programming (20/97)