「コンピュータは考えることができるの?という質問は、潜水艦は潜水できるの?という質問と似たようなもの」「自分でできると思ったことだけやるべし」などの名言の持ち主。プログラミング言語の基礎研究への貢献に対し第7回チューリング賞を受賞。
エドガー・ダイクストラ Edsger Wybe Dijkstra 1930-2002 計算機科学者
1930年、ロッテルダムの高校化学教師の父と数学好きの母のもとに生まれる。
1948年(18才)理論物理学者を目指してライデン大学に入学。アムステルダムの国立数学研究所で3年間プログラミングに取り組んだ結果、物理よりプログラミングに向いていると気づく。しかし、プログラミングで社会的地位を築けるか悩んでいると上司のA. Wijngaardenさんから、君は遠からずプログラミングの社会的地位を上げる人になる、と声をかけられる。
1956年(26才)数学研究所に就職。メインの仕事はコンピュータ開発。合間に「都市を結ぶ道路網の中の特定の二つの都市の間の最短ルートはどれか」問題を考えていた。カフェでフィアンセとお茶しているとき、最短パスのアルゴリズムがひらめいた。このアルゴリズムはコンピュータ・ネットワークでパケットを送受信するアプリケーションに今も使われている。リアルタイム割込み問題にも取り組み、かつてない厳格な解決法を見出す
1959年(29才)アムステルダム大学のPhD
1960年(30才)ハイレベルプログラミング言語Algol-60の最初のコンパイラを共同開発し完成させる。この仕事で“stack”と“vector”という用語を生み出し、Oxford English Dictionaryに収録された。
1962年(32才)Eindhoven工科大学の数学教授に就任。
1968年(38才)NATO Conference on Software Engineeringに出席し、ソフトウエア開発上の諸問題(予算・納期オーバー・問題だらけ)を知る。そこでプログラミングには科学的な方法論が必要で、自分が取り組むもう、と決意。それから「Go To statementは有害」「構造化プログラミングについて」など論文を発表しセンセーションを引き起こす。
1972年(42才)プログラミング言語の基礎研究への貢献に対し第7回チューリング賞を受賞。
https://amturing.acm.org/award_winners/dijkstra_1053701.cfm
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9
グラフ理論⑤(ダイクストラのアルゴリズム)