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William Bradford Shockley Jr. 1910-1989 アメリカの物理学者 トランジスタの発明で1956年にノーベル物理学賞を受賞。▼父は8カ国語を話す鉱山技師。母はスタンフォード大学卒、アメリカ初の女性採掘測量士補。
▼1932年(22才)Caltech卒業。1936年(26才)MITでPh.D.
▼ベル研究所の研究チームに参加するも、第二次世界大戦のため1942年(32才)ベル研究所を離れて海軍の委託研究のディレクターになる。対潜水艦技術の研究開発や米軍が日本本土上陸作戦を行った際の死傷者数の予測などに携わる。
▼1945年(35才)ベル研究所に戻り、固体物理チームのリーダーの一人になる。この部門のミッションは、真空管増幅器の代替となる固体(半導体)を見つけることだった。そこでチーム(バーディーンさんとブラッテンさんがメンバー)はショックレーさんが発案していた半導体を対象に実験を繰り返す。しかし、結果を得られず。▼1946年(36才)、チームがそれまでの実験が失敗した原因を掴む。新しい方法で増幅作用が観測。この段階ではチームのコミュニケーションが取れており、ショックレーも参加して論文発表していた。
▼1947年(37才)バーディーンさんとブラッテンさんは増幅機能を持つ点接触型トランジスタを完成。ベル研究所は2人が貢献した範囲で2人の名前で特許を出願。というのは特許調査をしたところ、特許請求の範囲を広げると特許が弱くなるから。しかし、ショックレーさんは特許に自分の名前が入っていないことに怒った。そこで点接触型トランジスタの弱点を見抜き、独自に生産性と事業可能性の高い接合型のトランジスタの開発を続ける。結果、サンドイッチ構造のトランジスタを発明し、これが1960年代を担う半導体素子となる。▼1950年(40才)半導体研究者の必読本となるElectrons and Holes in Semiconductors を発刊。
▼1951年(41才)接合型トランジスタを発表。発明の特許も発効。ベル研でバーディーンさんとブラッテンさんを外して新たに組成したトランジスタ改良グループを指揮。バーディーンさんはベル研を辞めブラッテンさんはベル研の別のグループに入った。
▼1953年(43才)ベル研究所を辞めカリフォルニアに戻る。
▼1955年(45才)ショックレー半導体研究所の所長に就任。
▼1956年(46才)接合型トランジスタの発明でノーベル物理学賞を受賞。

https://en.wikipedia.org/wiki/William_Shockley
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%BC
William Shockley Interview, 1969