• 電気通信大学、プログラミング教室、東京都調布市

キャスリーン・アントネッリさんは、1921年アイルランド生まれ。ENIACのオリジナル・プログラマ6人の1人。肩書はcomputer。▼3才で家族と渡米。地元フィラデルフィアの高校生時代は代数や幾何で年間のトップ賞を連取。地元女子大Chestnut Hill Collegeに進学し、微分計算、偏微分方程式、統計など数学のコースは全て取り、就職に備えて会計、経済学、統計などビジネス・コースも受講して1942年に卒業。▼1942年、アメリカ陸軍弾道研究所(Ballistic Research Laboratory, BRL)に弾道の計算手として採用されペンシルバニア大学ムーア・スクール勤務となる。弾道計算では、大砲ごとに約1,800の軌道の射表が必要。1軌道の計算に約30〜40時間を要した。ENIACはこの計算時間短縮のために開発された。▼アントネッリさんは週に6日働き、当時のアメリカに3台しかなかった最先端の微分解析機(40時間の計算が50分でできる)の使い手になり、すぐ計算の作業監督に昇進。1945年6月、ENIACが完成。アントネッリさんは、他の4人の女性計算手とともに最初のプログラマの1人に選ばれる。▼ENIACが弾道計算にかかる時間は10秒。しかしENIACのセットアップ(プログラミング)に1〜2日を要した。できるだけ短かい時間で済むようプログラミングの手順を決めるのが、アントネッリさんたちプログラマの責任だった。このプログラミング中に、アントネッリさんはENIACのサブルーチンを発明。▼1948年、アントネッリはモークリーと結婚し5人の子を儲ける。ご主人のモークリーさんが設計した BINAC や UNIVAC I のソフトウェア設計を行った。

https://en.wikipedia.org/wiki/Kathleen_Antonelli https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%AA

A Donegal Tribute to Kay McNulty(キャスリーン・アントネッリ氏)