• 電気通信大学、プログラミング教室、東京都調布市

施光恒『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』 (集英社新書) 

評者 宮澤修

 以前の授業で話した様に,私は「グローバル化の時代に英語は必須スキルだ」の様な言葉が大嫌いだ.口先だけで薄っぺらく感じるからである.しかしこの本では,上記の様な発言にはもっと根深い問題があると説く.

 この本は,巷で叫ばれる「日本は英語化が必要」という意見に疑問を呈す.過去の事例を挙げ,英語化が日本の発展に繋がるとは言えず,むしろ日本の良さを殺してしまうと述べる.

 「これからはグローバル化の時代だ」という言葉の裏には,人のコミュニティは少しずつ,大きくまとまっていく(普遍化していく)という考えがある.(例:集落都市国家世界政府)ところが,必ずしも普遍化が進歩的ではないという事が,いくつかの例で示されている.

 例えばヨーロッパで起きた宗教改革である.それまでの聖書はラテン語で書かれ,庶民は読むことが出来なかった.しかし,宗教改革で聖書が各国の言葉に訳され,庶民でも聖書の内容を理解し,議論できる様になった.普遍化とは反対の,「土着化」によって人類が進歩したのだ.

 もう一つの例は,明治期の日本である.当時も,現代と同様に,「英語化を進めるべき」という意見があった.外来の専門用語を,日本語では理解できないからだ.しかし先人達は,英語化ではなく,外来語を日本語に翻訳していく道を選んだ.結果として,英語を学ぶ時間的・金銭的余裕がない庶民でも,学問を修められる様になったのだ.

 土着化する事が人類の進歩に繋がる場合もある,という意見は,斬新でありながら合点がいくものだと感じた.私が学んでいる計算機科学には,英語をそのままカタカナにして使っている単語が数多くある(プログラミング,コンパイラ,インターネット等).そのせいで,単語を聞いただけでは,それが指す事柄を想像しにくいことがある.これは,「日本では計算機科学の土着化が進んでいない」と言えるかもしれない.もちろん,計算機科学の単語を全て和訳して使うのは現実的ではない.現実の計算機科学では,「英語をカタカナ化した」単語が広く使われているからである.しかし,小中高生にプログラミングや計算機科学を教える者として,「この単語・概念を日本語で説明するとどうなるか」という事は意識していきたい.

 

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